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楽しみ方海雲寺のお参りの記録一覧(2ページ目)

令和5年(2023年)11月5日(日)
東京都品川区南品川の海雲寺に参拝
「駅からハイキング」で大井町駅から天王洲アイル駅まで散歩











3/28日、海雲寺の千躰荒神王、春の大祭に行って来ました♪
こちらでは、春と秋に荒神さまの大祭があります!

護摩の火に当てていただいた、5年ほど前にお迎えした荒神さまの赤いお宮。お宮持っている人のみに授与される大祭限定のお札、金色の御幣、玄関に貼る角札です。火伏せです。



山門

護摩堂大祭なので、警備員が出てました。

荒神さまの護摩です♪

海雲寺は曹洞宗のお寺ですが、護摩については真言宗のお坊さんを呼んでやります。


写真撮影はOK。

お宮をいただく場合、種類が色々あります。

大祭のお札受付所。

護摩堂壁や天井は一見の価値あり。

人が伏せとあって、天井には町火消しの「まとい」がたくさん描かれています。


圧倒されます。

古いお札はここに納めます。

本堂です。護摩堂の方が立派w

海雲寺のトイレ。

トイレの前に立派な烏枢沙摩明王のお堂があります。

烏枢沙摩明王。トイレの神様と俗に言われています(正確には仏さまです)。

鐘楼。

荒神さま。

役の行者。

力石。

お札とお宮は、キッチンにこんな感じにお祀りしています♪

春と秋の大祭時に御朱印はいただけません。これは平成30年にいただいた荒神さまの御朱印になりますw

「千躰荒神」を祀っているお寺さん😊品川の千躰荒神は江戸時代から竈の神様、台所の守護神として多くの人々から信仰されています🙏江戸三十三観音霊場 番外。東海七福神の寿老人を祀っています。

山門

本堂ではなく千躰荒神堂



平蔵地蔵「ぼろは着てても心は錦」


こちらは本堂ではなく千躰荒神堂


右手にあるのが本堂、賽銭箱もなく質素😃

十一面観世音菩薩を本尊として祀る本堂

烏枢沙摩明王

鐘楼


えんの行者(役行者)


二つ目は、品川寺からちょっと川崎方面に進んだところにある海雲寺
山門が厳かに構えてました。
こちらで祀っている 千體荒神王さまは、台所を守る神様で、
ひいては火難を防ぐ意味があるとか…
他の説明書を読んでいると、元々は臨済宗でしたが、曹洞宗に代わって、
今に至るようです。
山門も本堂も護摩堂も、かなりの年月を経ているようですが、整然と
していて、いかにも「古くからあるお寺」の雰囲気が滲んでいます。
一巡して御朱印をお願いに伺うと、奥さんが手際よく対応して頂きました。
12時を過ぎ「炎天下」の言葉通りの日差しになり、夏を感じる季節と
なりましたね…

山門

道路に面した場所にある石標

せんたいこうじんおう…かな?

初めてお目にかかります…


本堂です

本堂左側に掲げてあります。
台所を守る⇒火災を防ぐ意味だとか…なるほど…


護摩堂かな?


御朱印です【直に書いて頂けました】

21.07.20。京急線「青物横丁駅」よリ徒歩2分。(駅裏すぐ)品川区南品川にある曹洞宗寺院。
龍吟山海雲寺は建長3年(1251)僧不山(そうふざん)によって開基、はじめは庵瑞林といい、海晏寺境内にあって臨済宗であった。慶長元年(1596)海晏寺五世分外祖耕大和尚を開山とし曹洞宗に改められ、寛文元年(1661)海雲寺になったもので、ご本尊十一面観世音菩薩を安置。
鎮守として千躰三宝大荒神王を祀る。
〜当寺HPより〜
江戸三十三観音霊場巡りの⑩として参詣。番外札所ですが、観音霊場より千躰荒神王を祀るお寺として、江戸時代から竈の神様、台所の守護神として親しまれているとのことです。

江戸三十三観音霊場番外札所

寺院入り口
青物横丁商店街沿いです。


寺号標

山門

千躰荒神王標石。
大正2年建立。関東大震災を免れたようです!

千躰荒神堂遠景。

水屋

千躰荒神堂

拝殿




天井画




千躰三宝荒神の由来

本堂





鐘楼



平蔵地蔵



寺務所
こちらで御朱印を拝受しました。

千躰荒神堂の裏手に
本殿のようです。
境内からほぼ見えず、駅の裏口側からのショットとなりました。新旧のギャップが面白いですね!

京急青物横丁駅を出てすぐ右に進み、数メートル進んだらすぐまた右に入った青物横丁商店街にあります。
品川寺の数メートル先。
平蔵地蔵の由来が書かれた石板を読みました。
長谷川平蔵(鬼平)かと思ったら全然違いました。
御朱印は二種類で各500円。


山門


鐘楼

平蔵地蔵の由来の書かれた石板

えんの行者

手水

荒神様

靴を脱いで中へ


扁額

観世音堂

授与所

江戸三十三観音霊場の番外札所。品川区南品川にある曹洞宗の寺院。山号は龍吟山、院号は瑞林院。本尊は十一面観音。古くから民間信仰の篤い「千躰荒神」像を祀っていることで知られている。
この像はもともと江戸高輪の佐賀藩鍋島家下屋敷で祀られていたところ、江戸後期1770年に当寺に勧請したとのこと。「千躰荒神」は火と水の神であることから竈(かまど=台所)の守護神として親しまれ、参拝すれば衣食住に不自由しないと江戸時代から庶民の間で信仰されて来た。当寺ではコロナ前(2019年)まで春と秋の年2回<荒神祭(こうじんまつり)>を開催し、境内の荒神堂で丸一日護摩火が炊かれ、境内から青物横丁駅まで露店が軒を連ね、大勢の参拝客でにぎわうとのこと。
当寺は京浜急行線・青物横丁駅の近くで、旧東海道沿いにある。31番札所の<品川寺>が50mしか離れていない場所にある。
参拝時は週末の夕方で、他に参拝者はいなかった。

寺門と寺標。旧東海道から20mほど奥まったところにある。

門をくぐって正面に見える地蔵像と味のある樹木。地蔵は「平蔵地蔵」と言い、江戸末期に鈴ヶ森刑場の番人と乞食をしていた平蔵が、大金を拾って正直に持ち主の仙台藩士に返したところ、乞食仲間からのけ者にされ凍死した事件に因む。

地蔵像の右手には<鐘楼>と<烏瑟沙摩明王(うすさま)明王像>。烏瑟沙摩明王は密教の明王の一尊で、火の神、厠の神とされる。

地蔵像の左手には謎の長い建物。<荒神祭>は相当な人出のようなので、臨時の授与所か?

左奥の建物前右手にある<水屋>。

左奥の建物<荒神堂>。

<荒神堂>入口と扁額。内部には信徒が奉納した27面の扁額が掲げられている。板ガラスの裏から描いた絵を表からみる「ガラス絵」の貴重なものもあるとのこと。

<荒神堂>を斜めから。

荒神堂の右手にある<観音堂>。

<観音堂>入口。扉が閉まっていて、観音像は拝めない。右壁には<本尊 十一面観世音菩薩>の木札。

観音堂の右手にある寺務所。御朱印はこちら。

江戸三十三観音霊場巡礼中。番外札所に参拝してきました。品川寺からすぐですので合わせて参拝が出来ました。





千體荒神堂、本堂かと思いました。

千體荒神堂内は中々凄いですね!

こちらが本堂ですね




江戸三十三観音巡礼の32か所目は、番外札所の品川区・海雲寺(かいうんじ)。
品川寺から徒歩1分のお寺です。
本尊は十一面観音様ですが、千躰荒神が祀られているお寺として有名で、3月と11月には千躰荒神祭りがおこなわれているそうな。
荒神は台所の神様です。

江戸三十三観音番外札所、海雲寺の十一面観音様の御朱印です。
施無畏(せむい)と書かれています。
施無畏とは、仏・菩薩が衆生 の恐れの心を取り去って救うことで、観世音菩薩の異称だそうだ。

山門

千躰荒神堂。
荒神堂は中に入れます。天井絵が見事!

海雲寺の烏瑟沙摩明王をお祀りしているお堂。
トイレの神様だそうだ。

境内に入ると、中央に荒神様の像が立っております。

お隣にいらっしゃる平蔵地蔵。
「江戸末期、鈴ヶ森刑場の番人をしながら交代で町に出て施しを受けて暮らしていた三人連れの乞食がいた。
その一人平蔵は、ある日、大金が入った財布を拾って届け、お礼のお金も、当たり前のことをしただけと受け取りませんでした。しかし、仲間たちは金を山分けにすれば三人とも乞食をやめて暮らせたのにと腹を立てて、正直者の平蔵を自分たちの小屋から追い出し凍死させてしまった。
この顛末を聞いた財布の落とし主の武士は、大変悲しみ、地蔵像を建てて平蔵の菩提を弔ったという。」
東京都のおすすめ3選❄️
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