御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方

しょうがくいん|浄土宗

正覚院の編集履歴
2023年07月09日(日)
東京都 清澄白河駅

keokeo˚✧₊⁎さんのプロフィール画像
keokeo˚✧₊⁎
2023年07月09日 16時53分

ご由緒

寛永六年(1629)、霊巌寺塔頭として霊巌島に創建された。桜井松平遠江守忠俱が開基、寛永一六年(一六三九)二月一二日没し、正覚院殿と号した父掛川藩主松平忠重の菩提のために建立。松平忠継の優遇により増上寺別院の称を得た。
明暦の大火(1658)で焼失後、霊巌寺とともに現在地に移転してくる。関東大震災後の区画整理で周囲にあった開善院・光明院・正覚院が合併して現在の正覚院が成立した。
昭和初期、冬木弁天あたりに悪さをする白いきつねが出没し、捕らえられこの寺に白狐塚をつくり近所の人も参加して大祭をした。大祭は戦争でとぎれてしまったという。
並木五瓶、奥倉魚仙の墓があり、歌舞伎の萬屋一門の菩提寺である。
(寺社めぐり26、江東区の民俗深川編より)

編集前:寛永六年(1629)、霊巌寺塔頭として霊巌島に創建された。桜井松平遠江守忠俱が開基、寛永一六年(一六三九)二月一二日没し、正覚院殿と号した父掛川藩主松平忠重の菩提のために建立。松平忠継の優遇により増上寺別院の称を得た。
明暦の大火(1658)で焼失後、霊巌寺とともに現在地に移転してくる。関東大震災後の区画整理で周囲にあった開善院・光明院・正覚院が合併して現在の正覚院が成立した。
昭和初期、冬木弁天あたりに悪さをする白いきつねが出没し、捕らえられこの寺に白狐塚をつくり近所の人も参加して大祭をした。大祭は戦争でとぎれてしまったという。。
並木五瓶、奥倉魚仙の墓があり、歌舞伎の萬屋一門の菩提寺である。
(寺社めぐり26、江東区の民俗深川編より)

ログインすると情報を追加/編集できます。