御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年10月四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年10月
成田山深川不動堂(新勝寺東京別院)ではいただけません
広告

なりたさんふかがわふどうどう(しんしょうじとうきょうべついん)

成田山深川不動堂(新勝寺東京別院)のお参りの記録(1回目)
東京都門前仲町駅

投稿日:2024年10月06日(日)
参拝:2024年10月吉日
東京都江東区富岡に位置する「深川不動堂」は、千葉県成田市にある大本山成田山新勝寺の東京別院として、長い歴史を有する寺院です。通称「深川不動尊」として親しまれ、江戸時代から多くの人々の信仰を集めてきました。

●歴史的背景

深川不動堂の開創は元禄16年(1703年)に遡ります。成田山の御本尊である不動明王像が江戸に運ばれ、特別に公開されたことが始まりです。この像は、平安時代の初めに弘法大師によって開眼されたと伝えられています。以降、不動明王像は京都の神護寺に奉安されていましたが、938年の「将門の乱」の際、朝廷は真言宗の高僧寛朝大僧正にこの像を持たせ、東国に祀ることが決定されました。不動明王は「この地に留まり、鎮護となろう」と告げ、成田山が創建されることになりました。
江戸時代中期になると、商人や庶民の信仰が広がり、成田山への参詣者が増加しました。特に歌舞伎役者の市川團十郎が不動明王を題材にした芝居を打ったことで、成田山の人気は一層高まりました。これを受けて、元禄16年に成田不動の「出開帳」が行われ、以降も数回にわたって開催され、多くの江戸っ子を魅了しました。

●不動堂の成立と復興

明治時代に入ると、神仏分離令により深川不動堂は正式に設立され、成田山の分霊が祀られることが認められました。1881年には本堂が完成しましたが、その後も関東大震災や東京大空襲などの災害に見舞われ、堂宇は何度も焼失しました。それでも、御本尊は僧侶の必死の努力により救われ、再建の道が続けられました。
特に、昭和25年には千葉県印旛郡の龍腹寺からの移築により、新たな本堂が建立されました。このような苦難を経て、深川不動堂は平成24年(2012年)には新本堂が落慶し、再び多くの信者に信仰されるようになりました。

●現在の深川不動堂

毎日護摩供養が行われ、特に交通安全や開運成就を願う参拝者が多く訪れています。境内には「深川開運出世稲荷」もあり、訪れた人々に癒しと運気の向上をもたらしています。
また、毎月1日、15日、28日には縁日が開かれ、賑やかな参道では多くの人々が集います。「人情深川ご利益通り」と称されるこの通りには、有名な菓子店や飲食店が軒を連ねます。

15時から護摩供養に参列しました。
成田山深川不動堂(新勝寺東京別院)(東京都)
成田山深川不動堂(新勝寺東京別院)(東京都)
成田山深川不動堂(新勝寺東京別院)(東京都)

すてき

御朱印

みんなのコメント0件)

ログインしてください

ログイン無料登録すると、投稿へコメントできます。

ホトカミ見ました! で広がるご縁

ホトカミを見てお参りされた際は、
もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。
成田山深川不動堂(新勝寺東京別院)の投稿をもっと見る322件
コメント
お問い合わせ