あづまじんじゃ
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楽しみ方吾嬬神社のお参りの記録一覧

東京都墨田区立花に位置する吾嬬神社。その起源は、日本武尊が東征の際、相模から上総へ渡ろうとした時に暴風に遭遇した出来事に遡ります。この時、妻の弟橘媛が暴風を鎮めるために自ら海に身を投じた結果、風が静まり、日本武尊は無事に上陸できました。しかし、弟橘媛は行方不明となり、彼女の御召物がこの地の磯辺に漂着しました。このことから、地元の人々は彼女を崇め、吾嬬大権現として祀ることになったと伝えられています。
●社殿の造営
正治元年(1199年)、北条泰時の命により、宇穂積臣の末裔である鈴木・遠山・井出の三家が社殿を造営しました。これにより、吾嬬神社は正式な信仰の場としての地位を確立しました。当地の「立花」という地名も、弟橘媛の伝説に由来しているとされています。
●自然と信仰
吾嬬神社の境内には、かつて「吾嬬の森」と呼ばれる美しい森林が広がり、そこには連理の楠(くすのき)が存在しました。この楠は、日本武尊が使用した箸を地面に刺したことから成長したと言われ、根元から二つの幹を持つ珍しい形状をしていましたが、現在は枯れてしまい、残された根と幹が保存されています。この楠は、地域の人々にとって神聖な象徴となっていました。
●御神木と神社の霊験
神社の御神木である楠は、昔から疫病を治す力があるとされ、その葉は護符として重宝されてきました。多くの人々がこの神社を訪れ、弟橘媛の霊験を求めています。
●福神稲荷神社
また、境内には福神稲荷神社も鎮座しています。この神社は、元々江東区にあったものが1922年に現在の地へ移転されました。福神稲荷神社には、宇賀之魂之命、大国主之命、金山彦之命が祀られております。













吾嬬神社@墨田区立花。かつて吾嬬の森と呼ばれる景勝の地でした。歌川広重の「江戸名所百景」に描かれた1つの根っこから2つの幹が生えた「連理の樟」が御神木でした。関東大震災や東京大空襲などによって森が失われてしまいましたが、連理の樟の名残が未だ残っていました。

吾嬬神社@墨田区立花

歌川広重の「江戸名所百景」に描かれた1つの根っこから2つの幹が生えた「連理の樟」の名残

吾嬬の森の由来説明版

吾嬬神社の由来説明板
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