日蓮宗
法恩寺のお参りの記録一覧
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法恩寺(ほうおんじ)は、東京都墨田区に位置する日蓮宗の寺院で、山号は平河山、院号は本住院です。宗旨は日蓮宗で、旧本山は大本山本圀寺(六条門流)に属します。本尊には十界曼荼羅が安置されています。
●創建の背景
法恩寺の歴史は、1458年(長禄2年)に遡ります。江戸城を築いた太田道灌が、城内鎮護の祈願所として武蔵国平河村(現在の千代田区平河町)に本住院を建立しました。開山は日住上人であり、初めてこの寺院を称した名でもあります。その後、道灌の跡を継いだ嫡子・法恩斎の年忌に際して、孫の太田資高によって寺号が法恩寺に改められました。
●移転と発展
法恩寺は、神田柳原や谷中清水町などを経て、1695年(元禄8年)に現在の地に移転しました。当時、塔頭は20ヵ寺、末寺は11ヵ寺を抱えており、日蓮宗の中でも重要な寺院の一つとして名を馳せていました。
●現代における役割
法恩寺は、地域社会とのつながりが深い寺院として知られています。隅田川の川施餓鬼や、七草粥、震災記念の「思い出のすいとん会」、十五夜のお茶会、年末の餅つき会、花見の縁など、様々な行事が開催されており、多くの信者や地域住民が参加しています。
●文化財と歴史的意義
法恩寺は、墨田区において登録有形文化財に指定された「太田道灌家供養塔」や、墨田区の登録史跡である「太田氏七代供養塔」を有しています。また、旧末寺には多くの関連寺院が存在し、日蓮宗の法脈を受け継いでいます。
●住職の変遷と影響
前住職の鈴木貫仁は1972年に入寺し、多くの重要な役職を歴任しました。1992年には大本山本圀寺の78世貫首に就任しました。現在の住職、鈴木貫元は2008年に法燈を継承し、納骨堂「妙元廟」と日蓮聖人像を建立しました。
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正式名:平河山本住院法恩寺
東京都墨田区にある日蓮宗の寺院。
長禄2年(1458)に太田道灌が江戸城を築くにあたり、城内鎮護の祈願所として武蔵国平河村(江戸城平川口)に建立開基。開山は本住院日住上人で、当初は本住院と称した。
道灌の跡を継ぎ城主となった嫡子・法恩斎の年忌に際し、孫の太田資高が寺号を法恩寺と改めた。
その後、神田柳原、谷中清水町と移転した後、元禄8年(1695)に現在地に移ったが、当時は塔頭20ヵ寺・末寺11ヵ寺を擁していた。
現在も日蓮宗・小西法縁内の法脈の一つである法恩寺法脈の脈頭寺院として大きな影響力を持つ。また、隅田川川施餓鬼、七草粥、震災記念「思い出のすいとん会」、十五夜お茶会、年末餅つき会、花見の縁などの開催など、壇信徒のみならず地域社会・地元近隣町会との繋がりが大変に強い寺として知られる。
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JR総武線「錦糸町駅」下車徒歩12分。
日蓮宗寺院。ご本尊は十界曼荼羅です。
1458年、開基の太田道灌が江戸城を築城の際に、城内鎮護の祈願所を本住院として日住上人が開山。道灌の後継となった法恩齋の年忌に際して、太田資高が法恩寺と改称されました。
このあたりの地名ともなっている「太平」は、太田道灌の「太」とこの寺院の山号である平河山の「平」から来たとも言われています。
「鬼平犯科帳」にも度々登場する寺院でもあります。
「太平一丁目」のバス停を降りて、長い参道を歩きます。
山門です。背後には、東京スカイツリーが顔を出します。
三重塔の形が珍しい鐘楼堂です。
本堂です。
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