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江島杉山神社ではいただけません
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えじますぎやまじんじゃ

江島杉山神社のお参りの記録(1回目)
東京都両国駅

投稿日:2024年10月13日(日)
参拝:2024年10月吉日
神奈川県藤沢市にある江島杉山神社は、江島神社の弁財天の御分霊をお祀りしています。この神社には、特に杉山和一という人物の深い信仰が色濃く反映されています。

●杉山和一の生涯と修行

杉山和一は武家の生まれであり、幼少期に病によって失明しました。彼は自らの生きる道を模索し、鍼術を志すことに決めました。しかし、江戸の名匠・山瀬琢一に入門するも、技術の向上は見られず、師の下を破門されてしまいます。失意の中、彼は江ノ島の弁天岩屋に籠もり、断食修行を行いました。
修行の満願の日、和一は大きな石に躓き、倒れました。その際、足に刺さったものを手に取ると、筒状になった椎の葉に松葉が包まれていました。この偶然の発見から、和一は「いくら細い鍼でも管に入れて使えば、盲人の私でも容易く打つことができる」と気付きました。この方法が後に「管鍼術」として現代の鍼術の主流となりました。

●名声と将軍の信任

和一はその後、京都の入江豊明のもとでさらなる鍼術を学び、江戸で開業すると瞬く間に名人としての名声を得ました。彼の評判を聞いた五代将軍・徳川綱吉は和一を「扶持検校」として召し、日夜治療を行わせました。61歳で盲人最高位の役職に就いた和一は、鍼治講習所を開設し、多くの弟子に鍼と按摩の技術を教えました。

●弁財天への感謝と社殿の建立

和一が83歳の時、綱吉公から「何か欲しい物はないか」と問われ、「ただ一つ目が欲しゅうございます」と答えました。この対話の後、元禄6年に彼は本所一ツ目に土地を賜り、江ノ島弁財天を当地に勧請して祀ることが許されました。翌年には荘厳な社殿が建立され、「本所一ツ目弁天社」として名所となり、江戸庶民の信仰を集めました。

●江島杉山神社の変遷

杉山和一は元禄7年に85歳で亡くなりましたが、彼の影響は神社の歴史に深く刻まれています。明治4年には道座組織が廃止され、総録屋敷も没収されましたが、江島神社は綱吉公が古跡としての扱いをしていたため存続しました。明治23年には杉山和一の霊牌所として即明庵が再興され、境内に杉山神社が創祀されました。
震災や戦災による社殿の焼失を経て、昭和27年には合祀され、現在の「江島杉山神社」となりました。
江島杉山神社(東京都)
江島杉山神社(東京都)
江島杉山神社(東京都)
江島杉山神社(東京都)
江島杉山神社(東京都)
江島杉山神社(東京都)
江島杉山神社(東京都)
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ぽーぽー
江島杉山神社(東京都)
ぽっぽー
江島杉山神社(東京都)
江島杉山神社(東京都)
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ちゅんちゅん
江島杉山神社(東京都)

すてき

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