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楽しみ方東京都慰霊堂のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年03月24日(月) 20時10分28秒
参拝:2025年3月吉日
東京都慰霊堂由来
この堂は、大正12(1923)年の関東大震災の後に、東京市内で災害の最も悲惨であったここ被服廠跡に、遭難死者のご遺骨を納める霊堂として建てられ「震災記念堂」と名付けられました。
そして、遭難者の霊を祀り、その加護によって今後このような災害の起こらないことを祈願するため、毎年9月1日の震災記念日に慰霊大法要を執り行い、併せて「焦土のなかから東京を復興させた官民の熱心な協力」の思い出をあらたにしようとしたものです。
ところが、その悲願も空しく、21年を経た昭和19(1944)年の冬から、首都東京は戦争により空からの爆撃を受けて、関東大震災の数倍もの惨禍を被りました。
そこで、この戦災遭難者の霊と御遺骨を併せてこの堂に奉安し、昭和26(1951)年9月に名称を「東京都慰霊堂」と改め、最も被害が大きかった東京大空襲の日の3月10日にも毎年東京都慰霊協会主催による慰霊大法要が行なわれるようになりました。
この堂は、大正12(1923)年の関東大震災の後に、東京市内で災害の最も悲惨であったここ被服廠跡に、遭難死者のご遺骨を納める霊堂として建てられ「震災記念堂」と名付けられました。
そして、遭難者の霊を祀り、その加護によって今後このような災害の起こらないことを祈願するため、毎年9月1日の震災記念日に慰霊大法要を執り行い、併せて「焦土のなかから東京を復興させた官民の熱心な協力」の思い出をあらたにしようとしたものです。
ところが、その悲願も空しく、21年を経た昭和19(1944)年の冬から、首都東京は戦争により空からの爆撃を受けて、関東大震災の数倍もの惨禍を被りました。
そこで、この戦災遭難者の霊と御遺骨を併せてこの堂に奉安し、昭和26(1951)年9月に名称を「東京都慰霊堂」と改め、最も被害が大きかった東京大空襲の日の3月10日にも毎年東京都慰霊協会主催による慰霊大法要が行なわれるようになりました。
すてき
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ボートレースで勝ちたい🏆 と始めた神だのみ🙏 神社仏閣を巡るうちに、その魅力にどっぷりと、、、本来の目的を忘れてしまいました😆 2025年3月21日、總持寺にて初めての御朱印帳と御朱印を頂きま...もっと読む
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