かんのんじ
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観音寺ではいただけません
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観音寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年07月23日(火)
参拝:2024年7月吉日
御府内八十八ヶ所四十二番札所の観音寺にお参りしてきました。
赤穂浪士の近松勘六行重と奥田貞右衛門行高が、観音寺で修行していた文良で後に第六世の朝山大和尚と兄弟の関係でした。
文良は赤穂浪士に便宜をはかり、寺内でしばしば会合が開かれたという。
本堂に向かって右側にある宝篋印塔は四十七士いれいとうとして古くから伝えられています。
文良は赤穂浪士に便宜をはかり、寺内でしばしば会合が開かれたという。
本堂に向かって右側にある宝篋印塔は四十七士いれいとうとして古くから伝えられています。
築地塀は幕末の頃に築かれたもので、当寺は観音寺の境内の東面と南面を囲っておりましたが、南面のみ現存しており平成十二年(2000)に国指定の有形文化財に登録されました。
また平成四年(1992)にはまちかど賞を受賞してます。
また平成四年(1992)にはまちかど賞を受賞してます。
観音寺の築地塀は幕末の頃に築かれたもので、当寺は観音寺の境内の東面と南面を囲っておりましたが、南面のみ現存しています。大正十三年(1923)に起こった関東大震災により一部倒壊しましたが、第一次世界大戦終戦から始まった戦後恐慌によって物資も少ない折、文化財保護の観点からも、できうる限り元の資材を使用して倒壊箇所が組み直されました。その後、経年による細かな損傷は見られましたが、補修を重ね、江戸時代往時の姿を今日に残しています。
そうした、江戸時代から続く有数の寺町である谷中の当時の面影を伝え、歴史的景観に寄与するということから、平成十二年(2000)に国指定の有形文化財に登録されました。
また平成四年(1992)には、歴史的文化財の多い台東区に於いてまちかど賞を受賞するなど、寺町谷中のシンボルの1つとして、映画やドラマのロケ地に選定されたり、雑誌にも多く紹介されています。
観音寺ホームページより引用
そうした、江戸時代から続く有数の寺町である谷中の当時の面影を伝え、歴史的景観に寄与するということから、平成十二年(2000)に国指定の有形文化財に登録されました。
また平成四年(1992)には、歴史的文化財の多い台東区に於いてまちかど賞を受賞するなど、寺町谷中のシンボルの1つとして、映画やドラマのロケ地に選定されたり、雑誌にも多く紹介されています。
観音寺ホームページより引用
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