じょうがんじ
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成願寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年01月20日(土)
参拝:2024年1月吉日
正式名:多寶山成願禪寺
通称:中野長者の寺
東京都中野区本町二丁目にある曹洞宗の寺院で、中野長者と呼ばれた鈴木九郎の寺として知られる。開基である鈴木九郎は紀州出身で室町時代に当地にやってきて、開拓・放牧を始め、成功し財を成し「中野長者」と呼ばれ、成願寺付近に邸宅を構えていた。
九郎の一人娘である小笹が18歳で急逝したことにより、九郎は仏門に生きる決意をし出家。
小田原の大雄山最乗寺の春屋宗能の教えを受け、名を正蓮に改め僧侶となり、1438年に邸宅を寺院にしたのが当寺院の始まりである。
寺名は娘の戒名から当初は「正観寺」となっていたが、江戸時代に「成願寺」と改められる。
幕末には一時、新選組の近藤勇とその家族が当寺院に身を寄せていた。
明治時代に神仏分離令により十二社の熊野神社が分離され、現在に至っている。
通称:中野長者の寺
東京都中野区本町二丁目にある曹洞宗の寺院で、中野長者と呼ばれた鈴木九郎の寺として知られる。開基である鈴木九郎は紀州出身で室町時代に当地にやってきて、開拓・放牧を始め、成功し財を成し「中野長者」と呼ばれ、成願寺付近に邸宅を構えていた。
九郎の一人娘である小笹が18歳で急逝したことにより、九郎は仏門に生きる決意をし出家。
小田原の大雄山最乗寺の春屋宗能の教えを受け、名を正蓮に改め僧侶となり、1438年に邸宅を寺院にしたのが当寺院の始まりである。
寺名は娘の戒名から当初は「正観寺」となっていたが、江戸時代に「成願寺」と改められる。
幕末には一時、新選組の近藤勇とその家族が当寺院に身を寄せていた。
明治時代に神仏分離令により十二社の熊野神社が分離され、現在に至っている。
すてき
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竜王1378投稿
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