塔山庚申塔のお参りの記録一覧
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塔山庚申塔(石棒様)は、中野区中央にある小さなお堂に祀られた庚申塔です。現在の姿は、戦災で破壊された庚申塔を地元の人々が修復したものです。
● 庚申塔の歴史
庚申塔は元々、山手通りの旧道と成木街道・青梅街道の旧道が交差する場所に奉られていました。建立されたのは宝永5年(1708年)で、江戸時代中期のものです。
● 戦災による破壊と修復
昭和20年の太平洋戦争の爆撃により庚申塔は破壊されました。しかし、地元住民が石片を集めてセメントで固め、再び奉ったことで現在の姿になりました。この修復により、石の棒のような形になり、「石棒様」と呼ばれるようになりました。
● 奉安場所の変遷
庚申塔は何度か場所を移されています。戦前は現在の場所より南に約70mの位置にありました。かつてこの一帯は宝仙寺の境内で、戦前までは三重塔も存在していました。戦災で三重塔とともに庚申塔も被害を受けましたが、戦後に現在の中野区立第十中学校(現・中野東中学校)脇に移設されました。
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中野坂上から東中野方向に山手通りを歩いた時、今まで通り沿いにあった、ファミレスが無くなり更地になっていて、更地越しに目に留まりました。
中野区の区内平和史跡案内頁によると
『空襲によって破壊され、焼けただれた笠付の庚申塔。戦後まもなく、地元の人々が崩れ落ちた石部片を集めてセメントで固め、改めてお祀りしました。それて石の棒のようになったことから、【石棒さま】と呼ばれるようになりました』
とのことです。
本来の姿とは違ってよみがえった物のようですが、地元の方々の思いが繋がっていて、マンションの一角に立派に囲まれて祭られていました。
ホトカミに、あたらしく追加登録する対象か迷いましたが、当時の思いを馳せて、登録しました。
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