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相州大山不動明王のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年02月27日(土)
参拝:2021年2月吉日
川島通り商店街を中野通りに出て、左へ。右手に道沿いの川嶋地蔵尊の先、細い道を右に入って直ぐ(中野通りからも見えます)にあり、門柱に「相州大山不動明王」とあります。
出入り口横が、地域のごみ収集場所になっているので、見た目は良いとは言えませんが、地元密着で知られているのかな‥などと思い、お参りさせていただきました。
道路に面した側面の説明を読むと、それを強く感じました。
後に調べたところ、
江戸時代の江戸の町では富士講や大山講という山岳信仰が盛んであり、後期になるとそれらは観光旅行の様相に代わっていったそうですが、もとは農民の自然への敬いからくるものであり、大山は雨乞いの山として弥生時代から信仰を受けてきたため、神田川流域の農民が大山信仰に入り、大山詣でをするのは、自然なことだったのだろう。
との事です。
また、
この不動堂の創建は天保年間(1830~1844)で、少し東側にあったものが、昭和の初め頃に現在の場所に移され、戦災で不動堂も不動明王像も被害を受けたが、後にお堂も像も再建されている。
との事です。
出入り口横が、地域のごみ収集場所になっているので、見た目は良いとは言えませんが、地元密着で知られているのかな‥などと思い、お参りさせていただきました。
道路に面した側面の説明を読むと、それを強く感じました。
後に調べたところ、
江戸時代の江戸の町では富士講や大山講という山岳信仰が盛んであり、後期になるとそれらは観光旅行の様相に代わっていったそうですが、もとは農民の自然への敬いからくるものであり、大山は雨乞いの山として弥生時代から信仰を受けてきたため、神田川流域の農民が大山信仰に入り、大山詣でをするのは、自然なことだったのだろう。
との事です。
また、
この不動堂の創建は天保年間(1830~1844)で、少し東側にあったものが、昭和の初め頃に現在の場所に移され、戦災で不動堂も不動明王像も被害を受けたが、後にお堂も像も再建されている。
との事です。
すてき
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しし丸1830投稿
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