しんめいひかわじんじゃ
神明氷川神社の編集履歴
ご由緒
御鎮座は文明元年(1469)大田道灌が武蔵大宮氷川神社より勧請し、毎年祭日には太田家よりら玉串が奉納されたと伝わる。旧雑色村字川島の鎮守社で、旧社格は村社(明治七年四月後加列)。
新編武蔵風土記(文化六年編。西暦1809)には氷川、神明合社と記されているが、神明社(祭神大日孁命 別名天照大神)の名は旧町名神明町の起源。神社の北方神田川の畔から移転合祀されたといわれる。明治十二年建造と伝えられる破損した鳥居の懸額には「天照皇大神宮・氷川神社」と並記されている。
社殿は弘化、嘉永の頃、別当寺正蔵院住職岸祐宜によって改築整備された。さらに大正十五年権現造り銅板葺きの社殿、昭和六年には神楽殿及び社務所竣功。しかし昭和二十年五月二十五日米軍空襲により焼失。戦後、数次に亘る復興計画で昭和三十三年九月現社殿・神楽殿が整った。
編集前: 御鎮座は文明元年(1469)大田道灌が武蔵大宮氷川神社より勧請し、毎年祭日には太田家よりら玉串が奉納されたと伝わる。旧雑色村字川島の鎮守社で、旧社格は村社(明治七年四月後加列)。
新編武蔵風土記(文化六年編。西暦1809)には氷川、神明合社と記されているが、神明社(祭神大日孁命 別名天照大神)の名は旧町名神明町の起源。神社の北方神田川の畔から移転合祀されたといわれる。明治十二年建造と伝えられる破損した鳥居の懸額には「天照皇大神宮・氷川神社」と並記されている。
社殿は弘化、嘉永の頃、別当寺正蔵院住職岸祐宜によって改築整備された。さらに大正十五年権現造り銅板葺きの社殿、昭和六年には神楽殿及び社務所竣功。しかし昭和二十年五月二十五日米軍空襲により焼失。戦後、数次に亘る復興計画で昭和三十三年九月現社殿・神楽殿が整った。
ご祭神/ご本尊
《主祭神》
素盞嗚命
《配祀神》
大日孁命
櫛稲田姫命
事代主神
大山祇神
編集前:《主》素盞嗚命,《配》大日孁命,櫛稲田姫命,事代主神,大山祇神
shinmeihikawa
参拝所要時間
約10分
参拝料
なし
創立
文明元年(1469年)
創始者/開山・開基
太田道灌
YouTube
https://www.youtube.com/channel/UCHYqB_XBlfUet2Gm_c5a0og
Wikipedia
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