真言宗豊山派慈雲山
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楽しみ方光明院のお参りの記録一覧

荻窪の地名発祥の地とされる古刹。地域の歴史と深く結びつき、長く信仰を集めてきたお寺です。
落ち着いた門をくぐると、手入れの行き届いた境内が広がります。
参道のスロープに「なきべそ地蔵」が祀られており、やさしい表情で参拝者を迎えてくれました。


以前から荻窪から西荻方向への電車から見える線路沿いのお寺が気になり…
荻窪白山神社さんへ月参りに行った帰りに、そのまま足を伸ばして寄らせていただきました。
向かう途中、お寺から出てくる方が次々と…今日は何かあったのかな?と思っていましたが、一旦お寺の入り口から入り,すぐに線路側に沿った細い道へ分かれ道があり、そのまま西荻まで繋がる脇道だそうです。自由に通って良いようになっていて…なので、次々出てくる方と入る方は、お寺には関係ないかたがメインでした^_^:
区内で一番古い手水鉢や,石段を上る立派な御本堂…。
綺麗に管理されているお寺でした。
御朱印は,書き置きを頂きましたが…今日は御朱印帳にお書入れていただけたそうで…書き置きのみと思い込んでいたので、,お寺専用のご朱印帳を携帯しておらず…残念でした😢
荻窪は、他の用事でも伺うので,今日はとりあえず紙でいただきましたが、近々改めて行ってみようと思います。



















光明院は、真言宗豊山派の寺院で、山号を慈雲山、院号を光明院とします。所在地は杉並区上荻2-1-3で、本尊は千手観音坐像です。かつては荻寺と呼ばれ、荻窪の地名の由来にもなったとされています。
● 光明院の縁起
光明院の創建年代は不詳ですが、伝承によれば和銅元年(708年)、行基作の仏像を背負った遊行僧がこの地を通りかかり、急に仏像が重くなったため、荻で草堂を作って安置したことが創建の始まりとされています。寺は南北朝時代に基礎が築かれ、荻窪の地名はこの寺に由来しています。
● 光明院の歴史
本尊の千手観音像は南北朝時代の作で、「荻窪の観音様」として信仰を集めました。また、境内からは同時代の五輪塔や板碑が出土し、寺の創建は南北朝時代にさかのぼると考えられています。旧本堂は火災により再建され、甲武鉄道(現中央線)の建設に伴い、1888年に移設されました。さらに1969年には現在地に移築されました。
● 施設・史跡
光明院には観音ホール(大斎場)、慈雲殿斎場(小斎場)、納骨堂、閻魔堂などがあり、また荻の小径や鐘楼堂なども境内に点在しています。墓地は現在、中央線の線路を挟んだ南側に位置しています。








須賀神社を後にして、チャリで太田黒公園に立ち寄ってから、
環八を越えた場所にある光明院を参拝しました。
本堂は、中央線の北側に。お墓は線路の南側にあり、
やや変則的【失礼】な配置のお寺です。
【元々は、一つの敷地で後から線路が真ん中を通ったのかも…】
本堂と、お墓は、線路の下に小さいトンネルがあり、それで往来します。
お寺とお墓を行き来する方、単純に近道で通る方、様々で、
何気に人が行き交います。
お寺は旧い部分と、新しい部分が渾然とした造りですが、しっくりしてます。

西側の入り口の石標。
山号は慈雲山

反対側の石標

こちらは、東側の入り口からの様子


何の木かは判りませんが、大きな樹でした…

本堂です。

荻窪の地名由来になったお寺✨白山神社と同様、JR中央線と環状8号線沿いにあるとは思えないほど落ち着いています。東西に横切る荻の小径は地元の方の通り道になっています😊





鐘楼堂✨


本堂

書き置きのみ、本堂右横の客殿でインターホンを押すと対応してくださいます😊

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