めいとくいなりじんじゃ
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楽しみ方明徳稲荷神社のお参りの記録一覧

明徳稲荷神社は、東京都中野区中央にある稲荷神社です。江戸時代に中野村の名主であった堀江家の屋敷神として創建され、大正時代に地域の人々が譲り受けて「明徳稲荷神社」となりました。
● 鬼門除けとしての創建
神社は、堀江家の敷地(約21,000平方メートル)の東北の隅に鎮座しています。東北の方角は鬼門とされ、厄除けのために稲荷神を祀ったとされています。また、堀江家文書には、市場の繁栄と安全を願う「市神」の記録があり、これが明徳稲荷である可能性も指摘されています。
● 関東大震災と戦争による影響
明徳稲荷神社は、関東大震災と太平洋戦争の被害を受けたため、建造物や古記録は残っていません。しかし、慶応3年(1867年)に奉納された手水鉢には、狐の彫刻があり、往時の姿をしのぶことができます。
● 合祀された神社
この神社には、火伏せの「秋葉神社」と、雨乞いの「榛名神社」も合祀されています。地域の人々の生活に密接に関わる信仰が根付いている神社です。








青梅街道を中野坂上から荻窪方向に行き、宝仙寺前の交差点で宝仙寺に向かい、宝仙寺正面から青梅街道に並行している細い道を左へ。少し道なりに行くと児童公園先の、住宅地の中にあります。
地元で大事にされているようで、とても綺麗に掃除等されていて、灯籠も新しいものに変わっていました。
気になったのは、左下に胴と首が壊れた狐さんがそのまま置かれていて…
単純に直す物ではなく、意味あってそのままで置かれているのではないかと
思うのですが、何があったのかな…と思いを巡らせました。
鈴鳴らせるように紐が下がっていましたが
この時期なので
感染予防のため、鳴らさずにお参りしました。
火伏せの秋葉神社と雨乞いの榛名神社が合祀されています。
中野区公式観光サイトによると、
江戸時代に中野村の名主を務めた堀江家の敷地(2万1000㎡)の北東の隅にあります。北東の方角は鬼や災難が入ってくる鬼門として忌み嫌われ、堀江家では神を祀って鬼門除けとしました。堀江家文書によれば、中野宿で市場でに繁栄と安全のために祀った市神ちう神社の記録があり、これが明徳稲荷なのではないかとも考えられています。
大正時代に地元の人達が堀江家から稲荷神社を譲り受け、現在に至っています。関東大震災と太平洋戦争の際に罹災しているため、建造物や古記録は残っていませんが、狐の彫り物のある慶応3(1867)年の手水鉢にわずかながら往時をしのぶことができます。
との事です。





区のガイドを読んだ後、正面だけしか撮らなかったので、狐の彫り物の面を残せず、後悔しました。次回!


横の入口
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