だいろくてんじんじゃ
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第六天神社ではいただけません
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第六天神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年02月06日(土)
参拝:2021年2月吉日
東中野の氷川神社までお参りウォーキングしたので、地図で発見した『第六天神社』へ行ってみました。
大久保通りと山手通りの交差する『宮下』交差点を氷川神社の鳥居が見える郵便局の方向に行き、左折して少し行き、右手入ったところ。この左折してから、見つからず、ウロウロして諦めようとして最後に曲がったところにありました。
鳥居は平成9年12月に新しく建立されていて、しっかりした物でしたが、鳥居の先は、がらんとした中、枯れ木や枯れ草に中に、横に向いて建っていましたが、なんだか少し寂しい気持ちになりました。
諸産業繁栄、安産子育の神とのことです。
虚無感が気になり、調べてみました。
↓
『追記』
元々は中野区内では有数の旧家である秋元家の奉納した屋敷神で江戸時代には耕作地の片隅にこの天神を奉っていた。しかし後に小作人たちの多くがここに参詣するようになった為、明治の初めに川添地区の共同祭祀とされ社格も与えられた。
とのことです。
大久保通りと山手通りの交差する『宮下』交差点を氷川神社の鳥居が見える郵便局の方向に行き、左折して少し行き、右手入ったところ。この左折してから、見つからず、ウロウロして諦めようとして最後に曲がったところにありました。
鳥居は平成9年12月に新しく建立されていて、しっかりした物でしたが、鳥居の先は、がらんとした中、枯れ木や枯れ草に中に、横に向いて建っていましたが、なんだか少し寂しい気持ちになりました。
諸産業繁栄、安産子育の神とのことです。
虚無感が気になり、調べてみました。
↓
『追記』
元々は中野区内では有数の旧家である秋元家の奉納した屋敷神で江戸時代には耕作地の片隅にこの天神を奉っていた。しかし後に小作人たちの多くがここに参詣するようになった為、明治の初めに川添地区の共同祭祀とされ社格も与えられた。
とのことです。
すてき
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しし丸1636投稿
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