たまがわせんげんじんじゃ
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多摩川浅間神社ではいただけません
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多摩川浅間神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年09月29日(日)
参拝:2024年9月吉日
御朱印拝受を始める前に一度参拝したことがあり改めて参拝したいと思っておりました。
某youtube「あやかりチャンネル」で紹介されていたので、予習&復習はバッチシです。
多摩川駅到着の時点で雨は降っておりましたが、まあ大丈夫だろうという謎の自信で参拝を決行したところ、境内で割と強めの雨が降ったので、30分ほど滞在してました。おかげでリフレッシュしました(^^)
東京都大田区田園調布にある多摩川浅間神社は、約800年前に創建されたと伝えられています。この神社は、鎌倉時代の文治年間(1185-1190)に、右大将源頼朝が豊島郡滝野川松崎に出陣する際、妻の北条政子が夫の無事を祈願したことが起源とされています。
●創建の逸話
政子は頼朝の身を案じ、後を追って多摩川まで辿り着きました。しかし、わらじの傷が痛んでしまい、彼女は一時的にこの地で休息することに。亀甲山に登った際、富士山が鮮やかに見えたことから、彼女は自らの守り本尊である浅間神社に祈りを捧げました。その際、身に着けていた「正観世音像」をこの地に建てたことが、後に「富士浅間大菩薩」と呼ばれ、地元の信仰の対象となりました。この出来事が、多摩川浅間神社の始まりとされています。
●歴史的な出来事
1652年(承応元年)には、社殿の土止め工事中に正観世音の立像が発見されました。この像は片足が欠けていたため、新たに足を鋳造して祀り、6月1日に神事が行われるようになりました。これが現在の例祭の由来となっています。
1907年(明治40年)には「一村に一神社」という合祀の政令が出され、当時の下沼部村にあった赤城神社と熊野神社が多摩川浅間神社に合祀され、現在の形が整えられました。
●境内の魅力
多摩川浅間神社は、社殿が東京都内で唯一の浅間造りの建築様式を持っています。境内は古代の前方後円墳の跡に建立されており、富士登山を模した溶岩が並べられた参道が特徴的です。主祭神は木花咲耶姫命であり、熊野神社と赤城神社も合祀されています。
また、境内には阿夫利神社、三峯神社、稲荷神社、小御嶽神社などの摂末社があります。
某youtube「あやかりチャンネル」で紹介されていたので、予習&復習はバッチシです。
多摩川駅到着の時点で雨は降っておりましたが、まあ大丈夫だろうという謎の自信で参拝を決行したところ、境内で割と強めの雨が降ったので、30分ほど滞在してました。おかげでリフレッシュしました(^^)
東京都大田区田園調布にある多摩川浅間神社は、約800年前に創建されたと伝えられています。この神社は、鎌倉時代の文治年間(1185-1190)に、右大将源頼朝が豊島郡滝野川松崎に出陣する際、妻の北条政子が夫の無事を祈願したことが起源とされています。
●創建の逸話
政子は頼朝の身を案じ、後を追って多摩川まで辿り着きました。しかし、わらじの傷が痛んでしまい、彼女は一時的にこの地で休息することに。亀甲山に登った際、富士山が鮮やかに見えたことから、彼女は自らの守り本尊である浅間神社に祈りを捧げました。その際、身に着けていた「正観世音像」をこの地に建てたことが、後に「富士浅間大菩薩」と呼ばれ、地元の信仰の対象となりました。この出来事が、多摩川浅間神社の始まりとされています。
●歴史的な出来事
1652年(承応元年)には、社殿の土止め工事中に正観世音の立像が発見されました。この像は片足が欠けていたため、新たに足を鋳造して祀り、6月1日に神事が行われるようになりました。これが現在の例祭の由来となっています。
1907年(明治40年)には「一村に一神社」という合祀の政令が出され、当時の下沼部村にあった赤城神社と熊野神社が多摩川浅間神社に合祀され、現在の形が整えられました。
●境内の魅力
多摩川浅間神社は、社殿が東京都内で唯一の浅間造りの建築様式を持っています。境内は古代の前方後円墳の跡に建立されており、富士登山を模した溶岩が並べられた参道が特徴的です。主祭神は木花咲耶姫命であり、熊野神社と赤城神社も合祀されています。
また、境内には阿夫利神社、三峯神社、稲荷神社、小御嶽神社などの摂末社があります。
すてき
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ひでどらごん699投稿
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