めぐろふじせんげんじんじゃ
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目黒富士浅間神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年04月19日(月)
参拝:2021年3月吉日
目黒氷川神社の末社ですが別れて投稿されているようなのでこちらに投稿します。
桜の季節限定の御朱印があると聞いて伺ってきました😊
江戸時代に富士山を対象とした民間信仰が広まる中、富士講という団体が各地で作られ、富士講の人々は富士山に登るほかに身近なところに小型の富士山(富士塚)を築き、これに登って山頂の石祠を拝みました。
目黒区内には二つの富士塚がありました。一つは文化9年(1812)に目切坂上(上目黒1-8)に築かれたもので「元富士」と予備、後に別所坂上(中目黒2-1)に築かれたもう一つの富士塚を「新富士」と呼びました。元富士は高さ12mで、石祠(浅間神社)を祀っていましたが、明治11年(1878)に取り壊しとなり、この氷川神社の境内に石祠や富士講の石碑を移しました。
昭和52年(1977)7月に富士山に見立てた登山道を開き、境内の一角を「目黒富士」と呼ぶようになりました。7月1日には山開きの例祭が行われています
桜の季節限定の御朱印があると聞いて伺ってきました😊
江戸時代に富士山を対象とした民間信仰が広まる中、富士講という団体が各地で作られ、富士講の人々は富士山に登るほかに身近なところに小型の富士山(富士塚)を築き、これに登って山頂の石祠を拝みました。
目黒区内には二つの富士塚がありました。一つは文化9年(1812)に目切坂上(上目黒1-8)に築かれたもので「元富士」と予備、後に別所坂上(中目黒2-1)に築かれたもう一つの富士塚を「新富士」と呼びました。元富士は高さ12mで、石祠(浅間神社)を祀っていましたが、明治11年(1878)に取り壊しとなり、この氷川神社の境内に石祠や富士講の石碑を移しました。
昭和52年(1977)7月に富士山に見立てた登山道を開き、境内の一角を「目黒富士」と呼ぶようになりました。7月1日には山開きの例祭が行われています
すてき
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のぶさん1606投稿
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