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祐天寺ではいただけません
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ゆうてんじ

祐天寺のお参りの記録(1回目)
東京都祐天寺駅

投稿日:2018年05月07日(月)
参拝:2018年4月吉日
駅名および地名の由来となっているお寺。

どんな由緒なのかと案内を読んでみると、開創は江戸時代中期と思っていたより新しかった。

高僧として名高かった祐天上人が、目黒に念仏道場を建立したいと念願していたが、果たせず他界。
弟子・祐海が師の願いを引き継ぎ、幕府に熱心に願った結果、将軍吉宗がこれを聞き入れ、開創に至った。
開山を祐天上人とし、祐海は二代目住職としている。

当時は寺院整理のため、新しく寺院を建てるのは困難であったが、祐天上人は幕府の信頼厚い高僧だったこともあり、特別な許可に加え、幕府の保護も得ることが出来た。

祐天上人の来歴を調べてみると、すごい実績で驚いた。
大巌寺(千葉県千葉市)、伝通院(東京都文京区)などの住職を歴任。
ついには徳川家の菩提寺・増上寺(東京都港区)の法主と、大僧正に任ぜられる。(とても稀なケースらしい)
江戸の町火消しの基礎「いろは四十八文字」を考案したり、奈良大仏殿や鎌倉大仏殿の復興も手がけていたりもする。
累ヶ淵の怨霊退治の逸話もあり、これは歌舞伎や落語の題目にもなっている。

境内の建造物は、将軍家の寄進によるものが多く、どれも立派だ。
阿弥陀堂や仁王門は、五代将軍 綱吉の娘・竹姫の寄進。
梵鐘と鐘楼は六代将軍 家宣の夫人・天英院の寄進。

よく見ると、葵の御紋があるのがわかる。
阿弥陀堂の横に、稲荷堂がある。風土記稿に「熊野稲荷合社」とあるものだろうか。

お賽銭箱には、町火消しの纏がデザインされている。先に述べた「いろは四十八文字」を考案したといういわれからだろう。
祐天寺の山門
表門
祐天寺の山門
仁王門。五代将軍 綱吉の娘・竹姫の寄進。十二支の彫刻がある。
祐天寺の本殿
阿弥陀堂。こちらも五代将軍 綱吉の娘・竹姫の寄進。
祐天寺の芸術
阿弥陀堂に葵の御紋
祐天寺の本殿
稲荷堂

すてき

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