りゅうこんし(さいごうたかもりひ)
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楽しみ方留魂祠(西郷隆盛碑)のお参りの記録一覧

洗足池弁財天にお参り後、さらに公園内を洗足池に沿って周回すると、左手に「勝海舟夫妻の墓」と矢印←付きで表示がある。これに従って進むと仲良く並んだ夫妻の墓が出て来ます。墓前に手を
合わせて、更に左奥に進むと正面に勝海舟追慕碑と南洲(西郷隆盛)留魂詩碑が並び、右奥に小さな祠(ほこら)が見えてきます。
留魂碑(西郷隆盛碑)。西南戦争終結後、かつて西郷との江戸開城交渉に臨んだ海舟が、その名を惜しみ四谷に建てた小さな祠を、後に海舟が眠るこの洗足池の墓所近くに移したもの。
同会談以前に既に親交のあった二人だが、肝胆相照らす間柄の二人でなければ、無血開城に導くなど到底及ばなかっただろう。それ程まで緊迫した情勢だった。
西郷と勝海舟、碑文等を通して、両名の覚悟や使命感、幕末の空気感を感じ取れるエリアです。近くに勝海舟記念館なる展示施設があるので、合わせて見学されるといいでしょう。(今回は年末年始で休館中でした。残念。)

手水石。背面に嘉納治五郎や榎本武揚ら、海舟を慕う50名の門人達が発起人となり、その名を刻されている。

勝海舟夫妻墓所に向かって右手で。今日は日差しも柔らかく穏やかな日でした。

南洲(西郷隆盛)留魂詩碑。漢文体の碑文は難解だが、左手に掲げられた書き下し文を読むと、その強い覚悟と信念が見て取れる


留魂碑(西郷隆盛碑)
割と小さく控えめでした。

勝海舟追慕碑。


おまけ。勝海舟夫妻の墓所近くにある「勝海舟記念館」。今日は年末休館日という事で残念でした。

東京都大田区南千束の洗足池公園内にある。
勝海舟は慶応4年(1868)の鳥羽・伏見の戦いで敗れた幕府の代表として、官軍の代表であった西郷隆盛と池上本門寺にて会談した。この会談の結果、「江戸城無血開城」が実現した。
その会談の帰路、洗足池の茶屋で休息したことが縁となり、池の畔に別邸の「洗足軒」を設けた。
「洗足軒」には西郷隆盛も訪れ、日本の未来について語られたという。
明治32年(1899)に亡くなり、遺言によってこの地に葬られ、後に妻たみも合祀されている。
石塔の「海舟」の文字は「徳川慶喜の揮毫」と伝えられている。
勝海舟夫妻の墓の横には勝海舟が西郷隆盛の菩提を弔うために建てたという「留魂祠」がある。
































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