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こんせんじ|高野山真言宗亀光山(きこうざん)

金泉寺の編集履歴
2020年07月23日(木)
徳島県 板野駅

さささんのプロフィール画像
ささ
2020年07月23日 17時51分

緯度

34.14737875255654

編集前:34.147457

経度

134.46850102514858

編集前:134.4685312

住所

板野郡板野町大寺亀山下66

編集前:板野郡板野町大寺亀山下66

ご由緒

聖武天皇(在位724〜49)の勅願により行基菩薩が寺塔を建立し、「金光明寺」と命名されたと伝えられる。そのころの本尊は高さ約91センチの釈迦如来像で、脇侍に阿弥陀如来、薬師如来の三尊像を安置して開基したという。弘仁年間(810〜24)になって弘法大師が四国を巡教された際、村の人たちが日照りに苦しんでいるのを見て、この地に井戸を掘られた。この井戸から湧き出た水は霊水で、「長寿をもたらす黄金の井戸」とされ、寺名の「金光明寺」を改め、「金泉寺」とした。その後、亀山天皇(在位1259〜74)が法皇になられ、弘法大師を篤く信仰されて各地の霊跡を巡拝、金泉寺にもしばらく滞在された。

その間に、京都の三十三間堂(蓮華王院)に倣ならった堂舎を建立し、1,000の千手観音像を祀られ、背後の山を「亀山」と命名し、山号も「亀光山」と改めた。この堂舎には経蔵がおかれ、学僧たちで賑わったという。以来、皇室との縁が深く、長慶天皇(在位1368〜83)の御陵も本堂裏にある。また、源平合戦(元暦2年=1185)のおり、源義経が屋島に向かう途中に金泉寺に立ち寄り、戦勝開運の祈願をしたと『源平盛衰記』に伝えられている。本堂の左手にある慈母観音子安大師は、義経の祈願所ではあるが、境内西隣にある「弁慶石」もその一つで、義経が弁慶の力試しに持ち上げさせたと伝えられている。すこやかに育てと願う親心の観音菩薩。いまも人生の開運を願う参詣者が多く訪れる。

アクセス

高徳線 板野駅下車 (0.7km)
徳島バス 鍛冶屋原線「板野駅南」下車 (0.7km)
2【極楽寺】より
(自家用車)約10分 約3km
(徒歩)約40分 約2.5km
4【大日寺】より
(自家用車)約15分 約7km
(徒歩)約1時間30分 約5km

編集前:JR高徳線「板野駅」より徒歩

参拝時間

7:00~17:00

駐車場

仁王門左側 普通14台 大型3台(無料)

編集前:無料駐車場あり(普通車14台・大型3台)

トイレ

駐車場にあり

山号

亀光山(きこうざん)

編集前:亀光山

院号

釈迦院(しゃかいん)

編集前:釈迦院

巡礼

四国八十八箇所第3番
阿波北嶺薬師霊場第9番

編集前:四国八十八箇所霊場第3番札所
阿波北嶺薬師霊場第9番札所

文化財

「金泉寺」(板野町指定史跡)

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