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2026年03月15日(日) 23時03分 by神應院
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本尊は十一面観世音菩薩です。阿波誌によると、慶安中(1648~1652年)釋宥性により神應院は開山されました。大野史には真言宗龍池山神應院(元寺名 法恩寺)とあります。中興の祖は小松島より来られた権代僧都清陽で54歳(享保12年、1727年)で亡くなったと記録されています。阿南史には阿南の名僧禅城が紹介されており、禅城は神應院住職を経て明治元年冬に薬王寺住職になり、明治3年春には大覚寺の学林講主、同年5月には高野山及び東寺学林講師になりました。人格名声高く、「禅城和尚が歩いているところを見ると地から少し上を歩いている」「小僧を連れて徳島に行く時には、人の見ないところにくると小僧を自分の背に負うて歩いていた」などのお話が伝わっております。現存する過去帳は元禄2年記録わずかに有り、元禄12年より通年記録されています。過去帳には阿波藩第十代蜂須賀重喜公、十一代治昭公の戒名と葬儀の時刻などが記録されています。また檀家として、新選組近藤勇が最後まで持った愛刀を製作した吉川祐芳氏や川端康成がその才能に感動した文学賞受賞「いのちの初夜」の作者北条民雄氏のお名前なども残されております。
編集後
本尊は十一面観世音菩薩です。阿波誌によると、慶安中(1648~1652年)釋宥性により神應院は開山されました。大野史には真言宗龍池山神應院(元寺名 法恩寺)とあります。中興の祖は小松島より来られた権代僧都清陽で54歳(享保12年、1727年)で亡くなったと記録されています。阿南史には阿南の名僧禅城が紹介されており、禅城は神應院住職を経て明治元年冬に薬王寺住職になり、明治3年春には大覚寺の学林講主、同年5月には高野山及び東寺学林講師になりました。人格名声高く、「禅城和尚が歩いているところを見ると地から少し上を歩いている」「小僧を連れて徳島に行く時には、人の見ないところにくると小僧を自分の背に負うて歩いていた」などのお話が伝わっております。現存する過去帳は元禄2年記録わずかに有り、元禄12年より通年記録されています。過去帳には阿波藩第十代蜂須賀重喜公、十一代治昭公の戒名と葬儀の時刻などが記録されています。