かくりんじ
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鶴林寺ではいただけません
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鶴林寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年05月12日(金)
参拝:2023年5月吉日
【霊鷲山(りょうじゅざん)宝珠院(ほうじゅいん)鶴林寺(かくりんじ)】
本尊:地蔵菩薩
宗派:高野山真言宗
開基:弘法大師
鶴林寺は、798(延暦17)年、桓武天皇(在位781-806)の勅願により、弘法大師(774-835)によって開創された。大師がこの山で修行していたとき、雌雄2羽の白鶴がかわるがわる翼をひろげて老杉のこずえに舞い降り、小さな黄金のお地蔵さんを護っていた。この情景を見て歓喜した大師は、近くにあった霊木で高さ90cmほどの地蔵菩薩像を彫り、その胎内に黄金のお地蔵さんを納めて本尊とし、寺名を鶴林寺にしたといわれる。また、境内の山容がインドで釈尊が説法をしたと伝えられる霊鷲山に似ていることから、山号は「霊鷲山」と定められた。その後、寺は大きく栄え、長宗我部元親の天正の兵火にも山頂の難所にあることで難を逃れている。
本尊:地蔵菩薩
宗派:高野山真言宗
開基:弘法大師
鶴林寺は、798(延暦17)年、桓武天皇(在位781-806)の勅願により、弘法大師(774-835)によって開創された。大師がこの山で修行していたとき、雌雄2羽の白鶴がかわるがわる翼をひろげて老杉のこずえに舞い降り、小さな黄金のお地蔵さんを護っていた。この情景を見て歓喜した大師は、近くにあった霊木で高さ90cmほどの地蔵菩薩像を彫り、その胎内に黄金のお地蔵さんを納めて本尊とし、寺名を鶴林寺にしたといわれる。また、境内の山容がインドで釈尊が説法をしたと伝えられる霊鷲山に似ていることから、山号は「霊鷲山」と定められた。その後、寺は大きく栄え、長宗我部元親の天正の兵火にも山頂の難所にあることで難を逃れている。
【20_T.Hamada's view】
三重塔
三重塔
【20_つがいの鶴の像】
弘法大師が修行中に、2羽の鶴が舞い降り,その胎内に黄金の地蔵菩薩を納めたことから、本堂前には「つがいの鶴の像」が立つ。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
弘法大師が修行中に、2羽の鶴が舞い降り,その胎内に黄金の地蔵菩薩を納めたことから、本堂前には「つがいの鶴の像」が立つ。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
【20_つがいの鶴の像】
本堂右側の鶴
本堂右側の鶴
【20_つがいの鶴の像】
本堂左側の鶴
本堂左側の鶴
【20_本堂】
【20_大師堂】
【20_仁王門】
仁王門では金剛力士と鶴がお寺を守っていて、金剛力士像は運慶作と伝わる。金剛力士像は鶴が手前にいて見えにくい。
仁王門では金剛力士と鶴がお寺を守っていて、金剛力士像は運慶作と伝わる。金剛力士像は鶴が手前にいて見えにくい。
【20_仁王門の鶴】
金剛力士像の前に位置する阿形の鶴
金剛力士像の前に位置する阿形の鶴
【20_仁王門の鶴】
金剛力士像の前に位置する吽形の鶴
金剛力士像の前に位置する吽形の鶴
【20_三重塔】
江戸時代末期 1823(文政6)年に建立。藩政時代に建てられて残っている三重塔は、徳島県では唯一。一周ぐるり彫刻が見事。
江戸時代末期 1823(文政6)年に建立。藩政時代に建てられて残っている三重塔は、徳島県では唯一。一周ぐるり彫刻が見事。
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