たいりゅうじ|高野山真言宗|舎心山(しゃしんざん)
太龍寺の編集履歴
緯度
33.88240552751756
編集前:33.8825678
経度
134.52175154477462
編集前:134.5218186
名前
太龍寺
編集前:太龍寺(舎心山常住院太龍寺)
通称
西の高野
ご由緒
「西の高野」とも称される。四国山脈の東南端、標高618メートルの太龍寺山の山頂近くにある。樹齢数百年余の老杉の並木が天空にそびえ、境内には古刹の霊気が漂う。弘法大師が19歳のころ、この深奥の境内から南西約600メートルの「舎心嶽」という岩上で、100日間の虚空蔵求聞持法を修行されたという伝えは、大師が24歳のときの著作『三教指帰』に記されており、よく知られている。虚空蔵求聞持法は、真言を百万遍となえる最も難行とされる修法で、大師青年期の思想形成に大きな影響を及ぼしている。縁起によると延暦12年、桓武天皇(在位781〜86)の勅願により堂塔が建立され、弘法大師が本尊の虚空蔵菩薩像をはじめ諸尊を造像して安置し、開創した。山号は修行地の舎心嶽から、また寺名は修行中の大師を守護した大龍(龍神)にちなんでいる。
皇室や武家の尊信が厚く、平安時代の後期には子院12ヶ寺をもつほどに栄えていた。だが、「天正(1573〜92)の兵火」からは逃れられなかった。また、江戸時代になっても幾たびか罹災し、荒廃の途を余儀なくされているが、その都度ときの藩主の保護をうけ再建されている。仁王門は鎌倉時代の建立で、他の堂塔は江戸時代以降に復興している。四国巡礼者にとって、屈指の難所であったこの山岳寺院にロープウエーが開通したのは平成4年である。徒歩では、中腹の駐車場から坂道を登るのに30分も要していた。1,200年のむかし、大師の修行時代をしのばせる迫力、風格をそなえた古刹である。
編集前:「西の高野」とも称される。四国山脈の東南端、標高618メートルの太龍寺山の山頂近くにある。樹齢数百年余の老杉の並木が天空にそびえ、境内には古刹の霊気が漂う。弘法大師が19歳のころ、この深奥の境内から南西約600メートルの「舎心嶽」という岩上で、100日間の虚空蔵求聞持法を修行されたという伝えは、大師が24歳のときの著作『三教指帰』に記されており、よく知られている。虚空蔵求聞持法は、真言を百万遍となえる最も難行とされる修法で、大師青年期の思想形成に大きな影響を及ぼしている。縁起によると延暦12年、桓武天皇(在位781〜86)の勅願により堂塔が建立され、弘法大師が本尊の虚空蔵菩薩像をはじめ諸尊を造像して安置し、開創した。山号は修行地の舎心嶽から、また寺名は修行中の大師を守護した大龍(龍神)にちなんでいる。
アクセス
20【鶴林寺】より
(自家用車)約20分 約10km
(徒歩)約2時間30分 約6.5km
22【平等寺】より
(自家用車)約25分 約14km
(徒歩)約3時間 約12km
参拝時間
7:00~17:00
編集前:納経所 7:00〜17:00
駐車場
太龍寺ロープウェイ駐車場 普通150台 マイクロ・大型各10台(無料)
トイレ
納経所の向い
山号
舎心山(しゃしんざん)
院号
常住院(じょうしゅういん)
巡礼
四国八十八箇所第21番
阿波秩父観音霊場第10番
行事
1月12日 本尊初会式
旧暦3月21日 弘法大師正御影供
文化財
阿波遍路道 太龍寺道、阿波遍路道 かも道、阿波遍路道 いわや道、阿波遍路道 平等寺道、阿波遍路道 太龍寺境内(国の史跡)
本堂、大師堂、御影堂、護摩堂、多宝塔、六角経蔵、本坊、仁王門、鐘楼門(国の登録有形文化財)
太龍寺の丁石(県の史跡)