いんべじんじゃ
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楽しみ方忌部神社のお参りの記録一覧

【忌部神社(いんべじんじゃ)】
忌部神社は、徳島県徳島市二軒屋町に鎮座します。つるぎ町の忌部神社(現:御所神社)と山崎忌部神社の間で明治期に忌部神社の正蹟論争が繰り広げられ、決着が着かず妥協案として全く別の土地である徳島市二軒屋町の忌部神社に決定されました。国幣中社。別表神社。
-祭神ー
①天日鷲命(あめのひわしのみこと)…阿波忌部氏の祖神。天照大神が天岩戸に隠れた際に、木綿で幣(へい)を作ったと伝えられ、麻や木綿の栽培、紡績の神として信仰されている。

【二の鳥居】

【一の鳥居】


【参道 石段】

【手水舎】


【狛犬 阿形】

【狛犬 吽形】

【二の鳥居】

【拝殿】


【拝殿 扁額】

【拝殿 内殿】



【振り返って見る二の鳥居】

【本殿】

【本殿】

【境内社】
徳島そごうに鎮座していた神社。

【稲荷社】

【大王松】



【御朱印】

徳島市にある神社です。
阿波の金刀比羅神社と同じく 勢見山という古墳のある山に鎮座されています。
金刀比羅神社からの石段を下り ぐるっと回ってまた石段を上っていきました。
忌部神社の方が山の上の方にあり 石段も古くてきつくて段数も多く こちらはかなり上るのがきつかったです。
膝のバクダンが怖いので ゆっくり時間をかけて上りました。
山の上の神社ですが 拝殿は新しく立派なものでした。
社務所も大きくて こちらに住んでいらっしゃるのかと思いました。
とても静かで参拝者は誰もおらず ご朱印を拝受できるかどうか不安でした。
これだけしんどい思いをして上ってきたのに 拝受できないなんてつらすぎるからです。
が 宮司様はご在社で 無事拝受できました。
ほっとしたのもつかの間 今度は石段の下りが問題です。
上りより下りがきついのはよく聞く話です。
香川の金刀比羅神社で痛めた膝 京都の愛宕山で再び痛めたことで 及び腰になっているのです。
ゆっくりゆっくり 一歩一歩時間をかけて下りました。(はい無事でした)良かった。
忌部神社は 神大社に列せられたとても由緒正しい神社です。
歴史上の人物からの崇敬も篤く 屋島の戦いへ向かう途中に源義経が太刀を 那須与一が弓矢を奉納したといわれ 源頼朝が鎌倉幕府を開いた直後(1187年)に書いた忌部神社の所領を安堵する旨を約束した書状が残っていると伝わります。
かつては「四国一の宮・忌部大神宮」ともいわれ 崇敬されてきました。
忌部神社の歴史は神話の時代までさかのぼり 神武天皇の時代に忌部氏が粟や麻を植えて阿波を開拓し この地に祖先を祀ったのが始まりとされています。
中世以降 兵火などにより所在が不明となり 近世以降 複数の神社が式内・忌部神社を主張していたため 明治4年(1871年)に暫時「所在地不明」のまま国幣中社に列格したという歴史をもちます。

こちらの石段はきつい 手すりの位置が低いので辛い

由緒書

鳥居をくぐる手前に摂社

稲荷社でした

満州開拓青年義勇隊現地志望者の拓魂碑より当社に合祀 とありました

こちらでしょうか

手水舎

境内入口

耳が印象的です


社務所

正面鳥居

拝殿

扁額

内陣

奥に大麻(おおぬさ)が見えます

縄が張ってあり中に石の祠がある なぜ?

下りの方がこわい

手すりが低いからこわい

阿波国麻殖郡の式内後裔社です。徳島市街地の山側に鎮座している神社で、かつて朝廷で祭祀を司っていた忌部氏の名前を冠し氏神とされていました。

《鳥居と狛犬》

《手水舎》
水は流れています。

《由緒書き》
かつては四国一の宮と呼ばれていたとあります。忌部氏も阿波と讃岐に一族がいたので勢力はかなり強かったでしょうね。

《拝殿》
👁チェックポイント‼️
実は忌部神社自体は名神大社にもなっていた由緒正しい神社なのですが、中世に所在が分からなくなってしまいます。そして幕末の式内社調査で山崎忌部神社と五所神社が論社として挙げられましたが決着がつかず、折衷案として当社が建てられました。

《扁額》🙏

《授与所》
御朱印書き置きでいただきました。

《控室?》
初宮詣のご家族とカメラマンがいらっしゃいました。

《稲荷神社》
お狐さんだけじゃなくネズミや豚や虎がいてなんか動物園みたいに…

《霊神社》

《末社》
こっちにお稲荷さんがありますね。
いつもお世話になって(🤛

金刀比羅神社裏の急な階段を登っていくと、忌部神社がありました。別の正規の入り口は鳥居が立っていて忌部神社の石板がありました。山の上にあります。天皇家との繋がりが強く感じました。本殿の賽銭箱には菊の御紋がありました。
社務所もありインターホンを鳴らすと御朱印を頂けました。

忌部神社石碑

正規の入り口です。

由緒書き

手水社

狛犬

狛犬

鳥居

本殿

稲荷神社

戦没者を祀ってあります。

本殿前の賽銭箱には菊の御紋。


本殿内

忌部神社由緒書き

御朱印と一緒頂いた由緒書き。

延喜式内名神大社(阿波國麻殖郡/忌部神社、名神大、月次新嘗、)、旧国幣中社、現別表神社です。
もともと、現在徳島県吉野川市山川町に鎮座される「忌部神社(山崎忌部神社)」と、現在徳島県つるぎ町貞光に鎮座される「御所神社」が、双方とも式内名神大社「忌部神社」であると主張し論争となったため、太政官が明治18年に徳島市の当社の現在地を式内社忌部神社の社地とし、同年に当社に隣接する金刀比羅神社に仮遷座され、明治25年に現社殿が完成し、当神社が新設され遷座されたとのことです。
式内社を後継する神社ということになりますね。
御朱印をいただきました。
感謝です!!拝。







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