天台宗
全水寺のお参りの記録一覧
栃木県真岡市久下田にある天台宗の寺院で、嘉祥年間(848〜851)、円仁により草創され、開基は正長元年(1428)、青蓮院宮尊鎮法親王と伝えられている。
天正19年(1591)に下妻城主多賀谷氏により、近隣の長沼地区にある宗光寺が破壊され、その際、宗光寺住持・亮弁僧正は、経典、法具、寺宝を携えて久下田地区へ移り、新宗光寺を建立し、中興の祖となった。その後、天海僧正が同寺の中興2世として法灯を継ぎ、寺号も「全水寺」に改称された。
明治16年(1883)の火災により、本堂、庫裡などが焼失し、長らく仮本堂のままであったが、平成23年(2011)に本堂、客殿が再建され現在に至る。
慈恵(元三)大師と共に、慈眼(天海)大師の両大師が祀られ、古来より地域の住民から厚い信仰を集めてきた。
慈恵大師坐像、慈眼大師天海僧正が描かれた掛け軸のほか、境内には亮弁僧正供養石塔が大切に受け継がれている。また、中雀門には「両大師」の文字が残されており、目にすることができる。
今回は2日目がほぼ神社中心になりそうだったので、1日目の残りは寺参りすることにしました。
まずは白蛇辨財天のすぐ近くにあるこのお寺。なんと天台宗の栃木教区宗務所とのこと。
御朱印にあるように「両大師」として地元で親しまれてるお寺だそうです。
天台宗で大師というと、伝教大師最澄、慈覚大師円仁、元三大師良源、この三者のいずれかの組み合わせだろうと思ってたのですが・・・
1人は元三大師でしたが、なんともう1人は家康のブレーンの天海和尚!Σ( ̄□ ̄;) 慈眼大師というそうです。
もともとはここより少し西の長沼地区に円仁が創建した宗光寺というお寺だったそうですが、戦国時代に下妻の多賀谷氏の破壊され、この地に新宗光寺として移転。
その後、長沼の宗光寺が再建されたため、当時住職だった天海和尚がこちらを全水寺と改めたとのこと。
ちなみに宗光寺の方には「鬼の爪」があるらしく、鬼の御朱印がいただけるそうですが、調べてみたらこれが地獄先生ぬ~べ~の鬼の手そのもののデザインだったwww
天海和尚という大物が出てきたり、いろいろネタ満載なので、次にこの辺りに来た時は絶体に宗光寺にも行ってみますw
両大師の御朱印
書き置きです
オマケで天台宗栃木教区の御朱印もくださいました♪
よくわからなかったのですが、LINEで何かの催し物をした時に領布したものとのこと('_'?)
そのため日付が過去のものになってるw
駐車場は本堂裏だったので一度表に回って入り直し(^^;
額にも「両大師」とあり
さすがに栃木宗務所のためか境内はかなり広い
入ってすぐ左に堂宇が2つあったのでここから拝みました
大きい方は薬師堂でした
小さい方は太子堂
太子堂の横に首なし如意輪観音((( ;゚Д゚)))
廃仏毀釈の爪痕ですかね? でも隣の如意輪観音は破壊を免れてるな('_'?)
本堂
開放されてて御本尊を拝めました
本尊は阿弥陀如来とのこと
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