もちおじんじゃ
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三島神社の奧宮になります。
三島通庸公が那須野が原開拓にあたり、西那須野地域で一番高い山、赤田山(標高310.9m)に衣食住全般を司る伊勢の外宮の豊受大神を主祭神として奉斎したのが始まりです。
余談ですが、一番高い山が標高310.9mって( ^ω^ )
信州育ちのあたしには、丘にしか思えない、あっ!だから母智丘かぁ。それだけ、那須野が原は原野が広がっていたんだな、って思いました。
赤田山の山頂までの135段の石段は、ちょっとキツかったぁ。
山頂には秘密基地みたいな施設があります!
横に駐車場があります。
由緒書き
創建は明治14年、新しい神社ですが、夢見て開拓していた人々の心の拠り所となっていたと思います。
先の見えない135段の石段、いざ!
拝殿
ながーい〆縄
神社の後ろは広場になっています。
なんだろう、、
赤田山配水池、、
不気味に地面からニョキニョキでてる。
使っているかかわらない、クルクル回すヤツだ!
メーターもある。那須疏水の貯水池かな?
母智丘神社にお参りにこなければ、那須開拓の歴史に触れることもなかった、と思います。
教えてくれてありがとうございました。
歴史
明治十四年八月明治天皇東比御巡幸の砌り御名代として有栖川宮熾仁親王が那須野開墾を御視察なされました
時の県令三島通庸は開墾事業を起こすと母智丘の山頂に一祠を建立して崇敬されました
入植者も亦此れたならわれ同二十二年御本殿が創立され
去る昭和四十八年改築がなされ更に昭和五十年には手水舎の建設に殿内輔設の完備がなされ三島神社の奥宮として崇敬され今日に至る
名称 | 母智丘神社 |
---|---|
読み方 | もちおじんじゃ |
参拝料 | なし |
御朱印 | なし |
詳細情報
ご祭神 | 豊受大神 |
---|---|
創建時代 | 明治13年 |
ご由緒 | 明治十四年八月明治天皇東比御巡幸の砌り御名代として有栖川宮熾仁親王が那須野開墾を御視察なされました
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