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2026年05月03日(日) 21時01分 byしろすけ
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鳥森神社の前身、鳥ヶ森稲荷神社は、平安時代の延事2年(902年)上石上村(現、大田原市)の農人田守と言う人が、鳥ヶ森の丘の上に祠を建て、豊受媛命を祀り五穀豊穣を祈った事に始まると伝えられています。 創建必、那須野が原の鎮護の神として、この辺りを入会株場(共同の車刈り場)として、利用した周辺54ヶ村の信仰、殊に厚く、祠が守られて来たと言われています。 鎌倉時代初めの建久4年(1193年)、将軍源頼朝の那預野巻持りの際、この丘を展望所として、総指揮を執ったと伝えられ、神社の名は関東一円に広まったと言われています。 江戸時代から明治の初めにかけては、上石上村の村社こうとして守られてきました。 明治12年(1879年)11月14日後に総理大臣になられる、伊藤博文と松方正義が、地元開墾発起人の印南文作、矢板武等の熱意ある要請に忘え、鳥ヶ森丘上から那須野が原を視察、開拓事業への協力を約し、その成功を祈願したと言われます。 明治14年(1881年)8月6日、明治天皇の御名代として、有栖川宮熾仁親王殿下が神社にご参拝、那須開墾社の印南、矢板等の開拓の労を賞せられ、松をお手植えになられました。 社殿の「鳥森神社」の扇額は殿下のお書きになられたものです。 明治15年(1882年)2月、那須開墾社は肇耕社(三島農場)の三島通庸にも呼びかけ、上石上村と共に浄財を募り、社殿建築に着手しました。 明治18年(1885年)4月15日、開拓事業の成功を祈願し、那須疏水用削の起工式が神前で行われました。 明治21年(1888年)、社殿竣工、4月5日、開拓者の氏神として、栃木県知事樺山資雄外、来賓多数参列のもと還宮式(御神体を移す式)を盛大に執り行い、鳥ヶ森稲荷神社は、「烏森神社」となりました。同時に神社を中心に松と桜を奉納植し、公園化が図られました。 明治27 年(1894年)5月6日、松方正義、佐々木高行両伯爵、佐藤暢知事等の臨席を得て、開拓者等五百余名参列のもとに、那須開墾社の開墾成業式が神前で盛大に行われ、開墾事業の成功を神社に奉告しました。 以来、烏森神社は「開拓のおやしろ」として崇敬され、現在に至っております。
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天照大神 豊受大神 倉稲魂命 印南丈作 矢板武大命
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天照大神 豊受大神 倉稲魂命 印南丈作大命 矢板武大命
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烏ヶ森公園トイレ
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延喜2年(902年)