あたごじんじゃ
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愛宕神社(里宮)の編集履歴
2025年01月06日 22時43分
ご由緒
創建は鎌倉時代と云われており、以下のような伝説が伝わる。
当時の唐沢山城主・佐野成俊が、愛宕山の麓の白竜たんという池で、池の主、白竜神に会いました。 その池は、日照りが続いても絶対に渇かず、毎日田んぼに水を引いてもなくならないという不思議な池で、人の暮らしを支えていました。
成俊は、白竜神に今後も村民を守ってくれるようお願いしました。すると白竜神は自分を権現としてまつるよう命じました。 成俊は、さっそく愛宕山に社を祀りました。
その後、村では子どもが池に落ちても傷ひとつもなかったといいます。
【佐野成俊】
佐野成俊は、藤姓足利氏3代足利家綱の子で、足利俊綱(藤姓足利氏4代)、戸矢子有綱(佐野氏の祖)、の兄弟。
父家綱より佐野荘を相続し「佐野の庄司」と称される(後に佐野荘は甥(有綱の子)の基綱に継承され佐野氏へと繋がる)
伝承によると、唐沢山城は平安時代の延長5年(927年)に藤原秀郷によって築城。その後5代に渡り居住し、6代 成行(家綱の父)が足利荘に移り一時廃城。
その後、平安時代末期の治承4年(1180年)9代俊綱の弟 成俊が城を再興し、鎌倉時代に入った建保元年(1213年)30余年の歳月をかけて城を完成させ、佐野氏を名乗ったと伝えられる。
しかし近年の研究では、唐沢山城の起源は15世紀後半までしか遡らないことも明らかにされている。
ご祭神/ご本尊
《主》不詳(軻遇突智命もしくは白竜権現?)
編集前:《主》不明
見所
山頂に鎮座する愛宕神社の里宮・遥拝所
駐車場
あり 神社横に数台のスペース
少し上の田沼総合運動場の駐車場も利用可
創立
平安時代末~鎌倉時代初期
創始者/開山・開基
佐野成俊
ご神体
愛宕山
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