ふたついしいなりじんじゃ
二石稲荷神社の編集履歴
名前
二石稲荷神社
編集前:稲荷神社
ふりがな
ふたついしいなりじんじゃ
編集前:いなりじんじゃ
ご由緒
助戸村の住人 小堀重左衛門に、ある夜の寝入りばな「我は稲荷神だ・・・」との声が聞こえ、驚き跳ね起きると「いま二ツ石までやってきた、我を祀れば必ず幸せになる」とのお告げがあり、あまりの奇異さに平伏した途端、目がさめました(何だ夢だったのか・・・)
翌朝、二石の川原に行ってみると、夢のとおりにご神体があり、さっそく現錦町八九辺りに祠を建て、祀ったのが始まりと云われています。
霊験著しく参拝者は群れをなし、付近の耕作に支障が出て困るほどで、これを聞いた時の領主 高木主水正は、安永三年(1774年)三月に現在地に移し、権現堂(現龍泉寺)二十七世 潮音和尚に、二ツ石稲荷神社の別当職を命ぜられ、明治維新まで龍泉寺歴代住職に継承されてきました。
文政四年(1821年)伏見稲荷大社、八坂神社それぞれに御祓いを受けて奉祀、直末社の格式を獲得し二ツ石稲荷神社と命名しました。
現在の地に奉遷されても、御利益あらたかで参拝者は引きもきらず、お賽銭も大変なものだったようです。
本殿は日光東照宮の宮大工(氏名不詳)の作といわれ見事な彫刻です。
神仏分離により、助戸一丁目の鎮守様として祀られています。
寺二石[ふたついし]に稲荷神を勧請。靈驗著しく参拝者が増加し,農耕に支障が出るほどであったので安永三年1774権現堂(天台宗龍泉寺)三十八世潮音和尚を別当として現在地に遷宮,二石稲荷と称した。
ご祭神/ご本尊
《主》豊宇気姫命
《配》素戔男尊
編集前:《主》豊宇気姫命
見所
夢のお告げによって建てられたお稲荷さん、
昔は参拝者が押し寄せ、付近の耕作に支障をきたすほど霊験あらたかだったらしい。
駐車場
神社裏の自治会館に駐車場あり、神社の南東の角から境内に乗り付け
創立
不詳 安永三年(1774年)三月に現在地に遷座
創始者/開山・開基
小堀重左衛門
本殿/本堂の建築様式
本殿:流造板葺 拝殿:流造亜鉛葺
行事
2月初午に近い日曜日 例祭
7月第三土・日曜日 八坂神社の夏祭り