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光明寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2020年07月13日(月)
参拝:2020年6月吉日
関東88カ所霊場 第23番札所 光明寺
真言宗智山派 ご本尊大日如来
宇都宮市街地を縦貫する釜川は、その昔「池の辺」と呼ばれ、東西二つの沼を源流として宇都宮市内へと流れ込んでいる。東の沼を東弁天沼、西の沼を西弁天沼と呼び、光明寺はその中心に位置する。それぞれの沼の水は、寺の南方にある弁天橋の先で合流し、釜川となっている。特に東弁天沼の周縁台地から約2千年前の弥生時代中期頃の土器が多数発見され、野沢式土器として一躍有名になった。
江戸時代には、日光御成街道が通じ、宇都宮宿と徳次郎宿の中間に位置していたこともあり、徳川家の墓参時には大名の休憩所としての役割も果たしていた、由緒ある寺院でもある。
天保14年(1843)、僧・栄明が本堂、薬師堂を再建。薬師堂には桜本薬師を祀ったが、その後老朽化により、薬師堂を解体、現在は鐘楼門となっている。
当時から「静桜、桜本薬師さん」と呼んで信仰を深め現在に至っている。静桜は12代目となり現在は個人の敷地内にある。薬師如来は秘仏として本堂に安置されている。(関東88カ所霊場HPより)
真言宗智山派 ご本尊大日如来
宇都宮市街地を縦貫する釜川は、その昔「池の辺」と呼ばれ、東西二つの沼を源流として宇都宮市内へと流れ込んでいる。東の沼を東弁天沼、西の沼を西弁天沼と呼び、光明寺はその中心に位置する。それぞれの沼の水は、寺の南方にある弁天橋の先で合流し、釜川となっている。特に東弁天沼の周縁台地から約2千年前の弥生時代中期頃の土器が多数発見され、野沢式土器として一躍有名になった。
江戸時代には、日光御成街道が通じ、宇都宮宿と徳次郎宿の中間に位置していたこともあり、徳川家の墓参時には大名の休憩所としての役割も果たしていた、由緒ある寺院でもある。
天保14年(1843)、僧・栄明が本堂、薬師堂を再建。薬師堂には桜本薬師を祀ったが、その後老朽化により、薬師堂を解体、現在は鐘楼門となっている。
当時から「静桜、桜本薬師さん」と呼んで信仰を深め現在に至っている。静桜は12代目となり現在は個人の敷地内にある。薬師如来は秘仏として本堂に安置されている。(関東88カ所霊場HPより)
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