よこわりはちまんぐう
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横割八幡宮の編集履歴
2022年07月18日 15時23分
ご由緒
昔平家が蒲原まで攻め寄せた時、源頼朝がこの地我成島へ陣を取り、八幡宮へ戦勝を祈願した所、その夜平家は退散した。頼朝は随喜して、地名をヨロコビの賀島と名付けて書き残され、上差の矢と馬を奉納された。以後賀島を中心に多くの村々ができる折、社地の横"村割りを始めたので"横割村と名づける。
その後、年月の推移とともに、社殿は破損して野中の小祠となっていった。元亀三年(1572)武田信玄からこの地を賜った伊藤左衛門正久は、この八幡宮の御神徳を尊び、社殿と神領を寄進した。間もなく武田家没落で、正久は浪人となって、神領がなくなり、その後正久も家康の関ヶ原戦に参陣し討死した。それでも正久の子孫が年貢地や小祠を寄進し、毎年九月九日に来之宮神主による祭礼を催してきた。また常には社地に庵住の出家が朝夕の勤行を努めており、よってこの所は昔から当時まで、飢饉、疫病、水難、火難もなく隣郷までの津波にも安泰であった。
駐車場
あり
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