ほうきょういん|臨済宗建長寺派|地福山
宝鏡院の編集履歴
緯度
35.12112602036802
編集前:35.1214829
経度
138.92696456322938
編集前:138.9305975
ふりがな
ほうきょういん
ご由緒
この寺の宗派は臨済宗建長寺派で、鎌倉建長寺大覚禅師の弟子義翁和尚が開山(注)したと伝えられています。開基は足利第二代将軍義詮と言われています。
境内には足利義詮と第八代将軍義政の弟政知が葬られたと伝えられています。
また、本尊薬師如来像は運慶の作と伝えられています。残念ながらこの像は通常、拝観できません。また寺宝の茶釜(左文字の釜)は、足利家から奉納されたと言われています。
寺の参道入り口に当たる旧東海道の道路両側には、将軍が参拝の折りに馬から降りて鞍を置いたという「鞍掛の石」があります。また、建長寺の裏門を移したと言い伝えられている山門裏の境内には、三島七石の1つとして数えられている「笠置の石」があります。
編集前:この寺の宗派は臨済宗建長寺派(りんざいしゅうけんちょうじは)で、鎌倉建長寺大覚禅師の弟子義翁和尚(ぎおうおしょう)が開山(注)したと伝えられています。開基(注)は足利第二代将軍義詮(よしあきら)と言われています。境内には足利義詮と第八代将軍義政の弟政知(まさとも)が葬られたと伝えられています。
また、本尊薬師如来像(やくしにょらいぞう)は運慶(うんけい)の作と伝えられています。残念ながらこの像は通常、拝観できません。また寺宝の茶釜(左文字の釜)は、足利家から奉納されたと言われています。
寺の参道入り口に当たる旧東海道の道路両側には、将軍が参拝の折りに馬から降りて鞍を置いたという「鞍掛(くらかけ)の石」があります。また、建長寺の裏門を移したと言い伝えられている山門裏の境内には、三島七石の1つとして数えられている「笠置(かさおき)の石」があります。
ご祭神/ご本尊
薬師如来
見所
三島七石の1つである「笠置石」
将軍が休憩時に馬の鞍をかけたという「鞍掛石」など見所があります。
アクセス
JR三島駅より徒歩30分。
最寄りの駅は三島田町(伊豆箱根鉄道駿豆線)です。駅からは徒歩16分のところにあります。
駐車場
あり
御朱印
あり
山号
地福山
創立
建長元年(1249年)
創始者/開山・開基
足利義詮
Wikipedia
2146141