ぶっこうじ|浄土宗|龍海山
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楽しみ方仏谷寺のお参りの記録一覧

【龍海山(りゅうかいさん)三明院(さんみょういん)佛谷寺(ぶっこくじ)】
本尊:阿弥陀如来
宗派:浄土宗
開基:行基
佛谷寺は、島根県松江市美保関町美保関に位置します。1200年前、三火(みほ)(海に現れる3つの怪火)を封じるため行基が仏像を彫り一堂を建立したのがはじまりと伝わります。5体の仏像(薬師如来、日光・月光・虚空蔵・聖観音菩薩)は山陰最古の木仏像で、国指定重要文化財となっています。
寺はまた、隠岐島に流刑となった後鳥羽上皇、後醍醐上皇が風待ちのため立ち寄った行在所(あんざいしょ)になっています。
承久の乱、1221(承久3)年、後鳥羽上皇は隠岐へ御遷幸のとき、7月27日より8月5日まで9日間、当寺を行在所とされました。また、元弘の乱で、後醍醐天皇は、1332(元弘2)年、3月19日より4月2日まで14日間、当寺を行在所とされ隠岐の島へお渡りになっています。
二人の上皇が御遷幸された隠岐を訪ねました。

【青石畳通り】


【山門】

【行在所】


【本堂】


【本堂 扁額】

【本堂 内陣】



【石榴】

【大日堂】


【仏像】

【吉三地蔵尊】
八百屋お七の恋人、吉三のお墓。お七が江戸で刑に処せられたあと、冥福を祈るために吉三は巡礼の旅に出ます。1737(元文2)年、佛谷寺で70歳で入滅、ここに葬られたと伝わります。

【後鳥羽上皇御製】

八百屋お七の恋人の吉三のお墓「仏谷寺」
美保関にある古い町並みを通り奥。看板が周囲に多く狭い道だがわかりやすい。
駐車場なし。美保神社の前とか停めれる。
石畳の街並みを通り、山門。
山門をくぐりすぐ左手に「吉三地蔵」、左側奥に本堂。
山門右手に宝物館の受付、横に宝物館。
受付をしたら宝物館に入れるそうだが何度呼んでも出てこられなかった。御朱印ありだそうです。こんな古い街のお寺とは思えないほど重文が5躰もいる古刹。
「八百屋お七」の恋人であった吉三が、お七が放火による火刑となったと知り、菩提を弔うために各地を回り、この地で亡くなり、吉三とお七の霊を祀る地蔵堂ができたそうです。
八百屋お七といえば......ガラスの仮面。
美保関は古い町並みが趣あってロマンがある。

山門

本堂

境内

吉三地蔵

街並み。えも
青石畳通りを抜けて山の方へちょっと坂道を上がっていくと
そのお寺さんはあります。
まさに地元のお寺、という感じの小さな小さなお寺さんで、
この辺りの人達のお墓を守っているようです。
一応、観光案内にも掲載されているお寺さんですが、
境内は小じんまりとしていて人の気配がなく、とても静かで
物見遊山で来るような場所じゃないなあと思いました。
が、なんとここには、創建1200年、国の重要文化財指定の
仏像が祀られているのだそうで!
どうしても見たくて、誰も居ない拝観受付の呼び鈴を押して
ご住職を呼んでしまいました(汗)※御朱印も戴きたかった。
「大日堂」という近代的な雰囲気の収蔵庫に案内されて、
中に入ると真っ暗でビックリ。
ご住職が灯りを付けてくれてまたまたビックリ。
ガランとした空間にズラリと横に並んだ、真っ黒な仏像の
迫力に圧倒されました。
非常に特異的な造形で「出雲様式」と言われているそうです。
平安仏でふっくらとした顔立ち、体型、そして細かい彫刻が
とてもとても美しかったです。
それらが、なんと目の前、触れられる至近距離で
がっぷりよっと拝観出来るのです。
あんなに間近で平安仏を見たのは初めてです(笑)
写真も撮らせて頂いた!のですが、個人で楽しむもの、
ということで、残念ながら掲載出来ません。
すみません。
(お寺さんの写真も、観光的雰囲気ではなかったので
撮るのを躊躇してしまいました)
でも美保へ行ったら、美保神社だけでなく、
是非是非こちらも参拝して頂きたいお寺さんなので
ご紹介させて頂きました。
せっかくなので青石畳通りの1ショットを
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