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楽しみ方編集詳細
2026年04月24日(金) 00時01分 bysoo_cyan
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せきぶんじ
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529-0202
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延暦二十四年(805)二月、傳教大師(最澄)が当地へ順錫された折り、村を流れる赤川の底から一条の光明が差し、大師みずから取り上げられたのが本尊十一面観世音菩薩と伝えます。大師は急ぎ草庵を結んで、青陽山赤分寺と号しました。赤分寺には有縁の信者達が群集をなして参詣されるのでさらに六つの坊舎を建て繁栄しました。やがて足利将軍の耳にも達して、篤く信仰され、武運長久の祈願所となり、ますます繁栄したといいます。ところが惜しくも永正元年(1504)、京極氏と浅井氏との兵乱に遭い、堂宇は焼失しましたが、本尊十一面観世音菩薩のみは不思議にも災禍を免れ、威儀も堂々とそのままお立ちになっておられました。こうしたこともあって、ますます津々浦々の貴賤道俗が足を運び、参詣者で賑わったと伝えます。
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十一面観音
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十一面観世音菩薩
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境内自由。本堂要予約。
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300円
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青陽山
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延暦二十四年(805)
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傳教大師最澄