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2026年04月24日(金) 07時30分 bysoo_cyan
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元は久留弥多神社延喜式内社と称し、闇御津羽神を奉斎したものという。当社鎮座の湧出山々麓には、数基の古墳が存在し、租神闇御津羽神との関連を偲ばしめる。当地は延暦寺の寺領となり、又天台宗の流風に属した関連上、坂本の日吉神社の分霊をも当社に斎き祀り、いつしか主客顚倒し、ついに本来式内久留弥多神社なることを忘却するに至ったものと考えられる。かくして中世以降、日吉山王とも称え、社頭毀賑を呈したが、賤ヶ岳戦争に際し、兵火に罹り一時衰徴したが、境内に隣して官寺観音寺を設け、諸頭組によってその祭祀が営まれ、社殿の築造も行なわれたが、明治以降正規の神職が祭祀に当たるに至った。明治44年東久邇宮邦彦王殿下当地方に於ける大演習に際し、当社にご参拝になり、松樹を御手植になった。これより先、明治9年村社に列し、同41年4月29日幣帛料供進神社に指定せられた。
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大山咋命
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一間社流造 間口一間 奥行一間