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2026年04月25日(土) 08時19分 bysoo_cyan

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ご由緒
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景行天皇の御代 武内宿称勅命により、北陸巡行の折この地にさしかゝり、荒廃殊の外著しく、この原因は大蛇生棲し人畜に危害を及ぼすと聞き、その子波多八代之宿称を招き須佐の男命の神霊を御剣に勧請しこれを討ち給う、これによって難を他郷に避けていた郷人帰農しいたく宿称の徳として、須佐之男命の神霊と併せ祀るに至る。聖武天皇の御字、行基この地に来錫し、この大神と習合するに己高山に鶏足寺を創建し、当地の傍らに社坊を建立した。降って桓武天皇の御宇、最澄が鶏足寺の荒廃を再興し「十所権現」と称して鶏足等の鎮守としたが、当社もその内に加えられた。「世代山戸岩寺」も現存し、天平時代の諸佛を遺し重文となっている。浅井長政も神田を寄進その奥方お市の方の寄進と伝える屏風一双あり、昭和38年神社境内地に校倉式の収蔵庫を建設して天平佛、鎌倉佛を収蔵した。明治9年村社に同18年郷社に列し、同42年神饌幣帛料供進神社に指定された。延喜式内社。
ご祭神/ご本尊
編集前
須佐之男命
波多八代宿禰命
編集後
須佐之男命
波多八代宿禰命
参拝料
編集前
己高閣・世代閣拝観料:500円
創立
編集後
聖武天皇の御字
創始者/開山・開基
編集後
行基菩薩
中興の祖
編集後
傳教大師最澄
Restored time
本殿/本堂の建築様式
編集前
三間社流造
編集後
一間社流造千鳥破風唐破風付 間口一間 奥行五尺
社格