みょうりゅうじ|日蓮宗|霊亀山
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妙立寺の編集履歴
2022年08月21日 18時54分
ご由緒
当山は、京都の日蓮宗本山・立本寺の末寺であり、正治元年(1198)御潜幸中の後鳥羽上皇が天台宗の祈願所として創建され十五の末寺があったと伝わります。
延慶二年(1309)日蓮聖人の孫弟子である日像上人が、弟子の大覚上人を伴い、北陸伝道の途中、長浜を訪れ布教をされました。日像上人の説法を聞いた住職・檀信徒達が上人に、帰依・改宗し、荒廃していた妙立寺の再建を懇願しました。日像上人はこの地を訪れ「霊亀山妙立寺」を再建され、大覚上人を開山として定めましたが、度重なる戦火で焼失しました。当時、京都大本山・妙顕寺第二世の法灯を継いだ大覚上人は西国(備前・備中)伝道中でしたが、知らせを聞き再び訪れ当寺を再建されました。
天正七年(1579)『安土法論』の法難を受け、織田信長によって伽藍は尽く灰燼に帰しました。時の檀信徒達の発起で天正十一年(1583)に堂宇が再建されました。
寛政六年(1794)「村雲御所・第八世常孝院宮日照大比丘尼」(霊元天皇の皇祖孫・日照女王)」門跡を永代供養する事になり、祈願所となりました。
山門横の『千箇寺部屋」には、参詣者の書き残した「らくがき」が現存します。境内には、後鳥羽上皇のお手植えの「鳥羽桜」、お手洗いの井戸の「岩亀水」や「詠歌」が伝わります。
創立
妙実上人
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