そうあんじ
御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
宗安寺ではいただけません
広告
宗安寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2022年12月06日(火)
参拝:2018年4月吉日
正式名:弘誓山天白院宗安寺
滋賀県彦根市、彦根城下の中心にある浄土宗の寺で、彦根藩初代藩主・井伊直政の正室・東梅院が安国寺を再興したのが始まり。
もともとは箕輪城下(現・群馬県高崎市)にあった足利尊氏、足利直義開山の寺だったが、井伊直政とともに、高崎城下、佐和山城下、そして彦根城下へと移ってきた。
佐和山城下に移った際に、関ヶ原の合戦で西軍の将・安国寺恵瓊の名の安国寺を避け、開基である東梅院(井伊直政正室)の父・松平康親の戒名・無月宗九居士の「宗」と母の戒名・心誉理安大姉の「安」をとって「宗安寺」と改めた。
その後、二代藩主・井伊直孝の彦根城と彦根城下町の建設に伴い、大手町(現在の夢京橋キャッスルロード)に移されました。
道路に面した朱塗りの山門(通称赤門)は創建時に佐和山城(彦根城築城で破却)の城門を、そして本堂は江戸時代中期に長浜城付属御殿を移築したもの。
本尊・阿弥陀如来立像は大坂夏の陣の際、淀君の念持仏だったという伝承がある。
江戸時代には朝鮮通信使の宿となり、「李朝高官肖像画」がいまも伝わっている。
小堀遠州風の「白露の庭」も見どころである。
滋賀県彦根市、彦根城下の中心にある浄土宗の寺で、彦根藩初代藩主・井伊直政の正室・東梅院が安国寺を再興したのが始まり。
もともとは箕輪城下(現・群馬県高崎市)にあった足利尊氏、足利直義開山の寺だったが、井伊直政とともに、高崎城下、佐和山城下、そして彦根城下へと移ってきた。
佐和山城下に移った際に、関ヶ原の合戦で西軍の将・安国寺恵瓊の名の安国寺を避け、開基である東梅院(井伊直政正室)の父・松平康親の戒名・無月宗九居士の「宗」と母の戒名・心誉理安大姉の「安」をとって「宗安寺」と改めた。
その後、二代藩主・井伊直孝の彦根城と彦根城下町の建設に伴い、大手町(現在の夢京橋キャッスルロード)に移されました。
道路に面した朱塗りの山門(通称赤門)は創建時に佐和山城(彦根城築城で破却)の城門を、そして本堂は江戸時代中期に長浜城付属御殿を移築したもの。
本尊・阿弥陀如来立像は大坂夏の陣の際、淀君の念持仏だったという伝承がある。
江戸時代には朝鮮通信使の宿となり、「李朝高官肖像画」がいまも伝わっている。
小堀遠州風の「白露の庭」も見どころである。
すてき
投稿者のプロフィール
竜王1332投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。