もりくにじんじゃ
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守國神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年05月15日(水)
参拝:2024年5月吉日
東近江市で神社巡りに行ってきました。集落の細い道を進んだ先に鎮座しています。
初代三枝虎吉は甲斐国で武田信玄の重臣でしたが、長篠の合戦で武田氏滅亡後は徳川家康に仕え、代々幕府の直参旗本となりました。元禄11年(1698)に6代目守相が領地替えで近江三郡(神崎、蒲生、野洲)内に合計7000石を知行、内2000石の伊庭に代官所を置きました。北須田もこの時点で三枝氏が領主となり、その支配下で明治に及びます。
御祭神の守国命はこの三枝家の元祖で遠く平安時代仁明天皇(833~850)の頃に活躍した清和源氏の流れをくむ武人です。先祖代々この守国を大明神として江戸屋敷で祀って来ました。前述の三枝虎吉は守国より24代目に当たります。
明治維新で采地(領地)奉還、一士族となった三枝守道・守経父子が江戸屋敷より近江に移住するに当たり、代々崇敬して来た守国大明神を、当時氏神がなかった北須田に、明治2年(1869)に御神鏡・由緒系図・当地への遷座證文などを村民挙げてお受けし、現在地に神社を移しました。
初代三枝虎吉は甲斐国で武田信玄の重臣でしたが、長篠の合戦で武田氏滅亡後は徳川家康に仕え、代々幕府の直参旗本となりました。元禄11年(1698)に6代目守相が領地替えで近江三郡(神崎、蒲生、野洲)内に合計7000石を知行、内2000石の伊庭に代官所を置きました。北須田もこの時点で三枝氏が領主となり、その支配下で明治に及びます。
御祭神の守国命はこの三枝家の元祖で遠く平安時代仁明天皇(833~850)の頃に活躍した清和源氏の流れをくむ武人です。先祖代々この守国を大明神として江戸屋敷で祀って来ました。前述の三枝虎吉は守国より24代目に当たります。
明治維新で采地(領地)奉還、一士族となった三枝守道・守経父子が江戸屋敷より近江に移住するに当たり、代々崇敬して来た守国大明神を、当時氏神がなかった北須田に、明治2年(1869)に御神鏡・由緒系図・当地への遷座證文などを村民挙げてお受けし、現在地に神社を移しました。
すてき
投稿者のプロフィール
ゆきち2007投稿
東海、近畿地方の巡礼系を中心に神社仏閣を参拝しています😊
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