しんぜんこうじ
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新善光寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年07月26日(水)
参拝:2023年7月吉日
びわ湖百八霊場近江湖南二十七名刹霊場巡拝
今日は栗東市内の4ヶ寺を参拝しました。
先ずは第99番札所 浄土宗九品山 新善光寺さまから。
<新善光寺略縁起より>
*開山上人(ごかいさん)
今から約800年前、源平の乱(治承の内乱)の後、
平清盛の長子、小松内府重盛の一族で、小松左衛門尉宗定という人が、この地にのがれ住み、当地の地名を取って、高野宗定と称された。
宗定公は、平家一門の菩提をとむらうため、信濃善光寺へ48度の参詣を発願されたのである。
*夢定中な霊告(ゆめのおつげ)
その後、宗定公は、12年を経て、この願を成就されたのであるが、その満願の未明の頃に、信濃善光寺如来より、夢の中でおつげを賜った。つまり、宗定公の余りある篤心に、善光寺如来は深く御慈悲をたれ賜り、「江州(滋賀県)一円の衆生済度のため、我、(善光寺如来の御分身)を連れ帰れ」という霊告を得られたのである。
宗定公はこの霊告を深く慶び、夢より覚めると、御分身如来が、宗定公の眼前におたちになっていたのである。
*御分身如来に請来(ごぶんしんにょらい)
宗定公は深くよろこび御分身如来を頂き、現在のこの地に請来されたのである。時に建長5年(1253年・鎌倉中期)1月13日のことである。
宗定公の御影は、50年に一度の御開帳の秘仏として、御奉安している。
*本多俊次候(ほんだとしつぐこう)
寛文元年(1661年)になると、膳所城主本多俊次候は、あらたかな善光寺如来に深く帰依され、三間四面の本堂を寄進され、略縁起を著され、奉納された。その後、県下一円に当寺の名が広まり、多くの信者が集まる所となり、地方屈指の名刹となった。
中でも、1月13日御判日、春秋のおひがん、8月のおせがきは、多くの参詣者がおまいりされた。
*有栖川宮家御帰依(ありすがわのみやごきえ)
明治元年、有栖川宮殿下の三回忌に当たり、宮家より追善のため御尊牌(おいはい)が当寺に奉安された。この際、宮家こら御幕と提灯の寄進と、各種証文を賜った。
*国指定重要文化財
本堂御本尊ー光三尊善光寺如来のほか、当寺には治覚大師円仁作の本造阿弥陀如来を御内仏に安置している。これは国指定重要文化財であり、南北朝時代の秀作である。
*本堂昭和大修理
当寺の本堂は、永年の風雪に耐え難く、崩壊の感が極まったため、昭和54年9月より、昭和56年6月までわ1年9ヵ月をかけ総工事費1億数千万円の巨費を投入し、解体大修理に着手し、見事、昔日の威容を再現した。
この事業の際、県下一円はもとより、他府県から多くの浄財が寄進された。中でも、ある篤信者は、
「本堂危機を救うように」という御本尊の霊告を受けたため、同行の信者と協力し、多額の御寄付を頂き、この難事業完遂の大きな力となった。この霊告は、開山上人の体験された霊告に等しく、誠に不可思議な出来ごとである。
栗東市の住宅街の中に、目を見張るような立派で大きな山門を目にした時、寺名の新善光寺という意味が、愚かな私にも伝わって参りました。
また、御本堂の屋根の重厚さに圧巻。
更に、寺紋が我が家と同じ立葵であったことにもご縁を感じ、ありがたいお参りとなりました。
寺務所をお訪ねして、御本堂での参拝のお許しを頂き、びわ湖百八霊場の御朱印も頂きました。
御朱印には、あまり他寺では見ない、夏らしい朝顔と可愛い金魚のスタンプと「牛に引かれて善光寺まいり」でお馴染みの牛さんのスタンプもありました🥰
現在、御本堂、境内の整備中のようで、御本尊さまは、寺務所内奥の御宝前に御遷座、御安置されており、ご好意で上げて頂き、参拝させて頂くことができました。
お寺さまには感謝申し上げます。🙏🏻🥰
また参拝したい、そんなありがたいお寺さまでした。🥰🙏🏻
今日は栗東市内の4ヶ寺を参拝しました。
先ずは第99番札所 浄土宗九品山 新善光寺さまから。
<新善光寺略縁起より>
*開山上人(ごかいさん)
今から約800年前、源平の乱(治承の内乱)の後、
平清盛の長子、小松内府重盛の一族で、小松左衛門尉宗定という人が、この地にのがれ住み、当地の地名を取って、高野宗定と称された。
宗定公は、平家一門の菩提をとむらうため、信濃善光寺へ48度の参詣を発願されたのである。
*夢定中な霊告(ゆめのおつげ)
その後、宗定公は、12年を経て、この願を成就されたのであるが、その満願の未明の頃に、信濃善光寺如来より、夢の中でおつげを賜った。つまり、宗定公の余りある篤心に、善光寺如来は深く御慈悲をたれ賜り、「江州(滋賀県)一円の衆生済度のため、我、(善光寺如来の御分身)を連れ帰れ」という霊告を得られたのである。
宗定公はこの霊告を深く慶び、夢より覚めると、御分身如来が、宗定公の眼前におたちになっていたのである。
*御分身如来に請来(ごぶんしんにょらい)
宗定公は深くよろこび御分身如来を頂き、現在のこの地に請来されたのである。時に建長5年(1253年・鎌倉中期)1月13日のことである。
宗定公の御影は、50年に一度の御開帳の秘仏として、御奉安している。
*本多俊次候(ほんだとしつぐこう)
寛文元年(1661年)になると、膳所城主本多俊次候は、あらたかな善光寺如来に深く帰依され、三間四面の本堂を寄進され、略縁起を著され、奉納された。その後、県下一円に当寺の名が広まり、多くの信者が集まる所となり、地方屈指の名刹となった。
中でも、1月13日御判日、春秋のおひがん、8月のおせがきは、多くの参詣者がおまいりされた。
*有栖川宮家御帰依(ありすがわのみやごきえ)
明治元年、有栖川宮殿下の三回忌に当たり、宮家より追善のため御尊牌(おいはい)が当寺に奉安された。この際、宮家こら御幕と提灯の寄進と、各種証文を賜った。
*国指定重要文化財
本堂御本尊ー光三尊善光寺如来のほか、当寺には治覚大師円仁作の本造阿弥陀如来を御内仏に安置している。これは国指定重要文化財であり、南北朝時代の秀作である。
*本堂昭和大修理
当寺の本堂は、永年の風雪に耐え難く、崩壊の感が極まったため、昭和54年9月より、昭和56年6月までわ1年9ヵ月をかけ総工事費1億数千万円の巨費を投入し、解体大修理に着手し、見事、昔日の威容を再現した。
この事業の際、県下一円はもとより、他府県から多くの浄財が寄進された。中でも、ある篤信者は、
「本堂危機を救うように」という御本尊の霊告を受けたため、同行の信者と協力し、多額の御寄付を頂き、この難事業完遂の大きな力となった。この霊告は、開山上人の体験された霊告に等しく、誠に不可思議な出来ごとである。
栗東市の住宅街の中に、目を見張るような立派で大きな山門を目にした時、寺名の新善光寺という意味が、愚かな私にも伝わって参りました。
また、御本堂の屋根の重厚さに圧巻。
更に、寺紋が我が家と同じ立葵であったことにもご縁を感じ、ありがたいお参りとなりました。
寺務所をお訪ねして、御本堂での参拝のお許しを頂き、びわ湖百八霊場の御朱印も頂きました。
御朱印には、あまり他寺では見ない、夏らしい朝顔と可愛い金魚のスタンプと「牛に引かれて善光寺まいり」でお馴染みの牛さんのスタンプもありました🥰
現在、御本堂、境内の整備中のようで、御本尊さまは、寺務所内奥の御宝前に御遷座、御安置されており、ご好意で上げて頂き、参拝させて頂くことができました。
お寺さまには感謝申し上げます。🙏🏻🥰
また参拝したい、そんなありがたいお寺さまでした。🥰🙏🏻
山門
住宅街に突如現る、重厚感極まりない立派な山門です。
住宅街に突如現る、重厚感極まりない立派な山門です。
近江ではお馴染み、とびたくんも居ます🥰
厚みも素晴らしい✨
山門に見惚れて、足がなかなか進まない😅
あっ、立葵だ!
我が家の家紋と一緒🤣
我が家の家紋と一緒🤣
修復の為か、瓦が並べてありました。
六体地蔵さま
手水舎
手水舎の龍🐲さま
こんにちは😃お参りさせて頂きます🙏🏻
こんにちは😃お参りさせて頂きます🙏🏻
参道に、しあわせの鐘
大きな音でつかないで、小さくやさしくつくように、とあります。
そ〜っとつきました🙏🏻🥰
そ〜っとつきました🙏🏻🥰
なやみ捨て処
便箋に思いを書く、とのこと。
あっ、思いを書いて箱に入れてから鐘をつくのね😅
しかも、絶対にきつく打たないこと。
きつく打つと、しあわせが逃げていくそうです。
紙もペンも持ってなかった😅
また次来る時に、持参します。😢🙏🏻
便箋に思いを書く、とのこと。
あっ、思いを書いて箱に入れてから鐘をつくのね😅
しかも、絶対にきつく打たないこと。
きつく打つと、しあわせが逃げていくそうです。
紙もペンも持ってなかった😅
また次来る時に、持参します。😢🙏🏻
やさしく打つのね。😌
日本最大 青銅「佛使の丑」
牛に引かれて善光寺まいり〜 ですね😉
立派で大きな🐮さんです。
牛に引かれて善光寺まいり〜 ですね😉
立派で大きな🐮さんです。
両親供養観音様
この世に生まれさせて頂いたのは、み仏さま、多くのご先祖さま、そして両親のおかげさまであることへの恩と感謝を忘れぬように🙏🏻
御本堂
大きな香炉
扁額は善光寺
御本堂内は、暗かったです。
御本尊さまは7年に1度の御開帳。
今年は既に御開帳され、御本堂修復工事のため?寺務所内の御宝前に御遷座、御安置されていました。
今年は既に御開帳され、御本堂修復工事のため?寺務所内の御宝前に御遷座、御安置されていました。
ん?😳
何故に千代の富士?
お寺さまにお尋ねしようと思っていたのに、聞き忘れた😓
何故に千代の富士?
お寺さまにお尋ねしようと思っていたのに、聞き忘れた😓
びんずるさま
寺務所奥の御宝前
左側に御本尊様は御安置。
左側に御本尊様は御安置。
こちらの御厨子の中に、いらっしゃいます
素晴らしい御本堂の屋根瓦
「西方に 聞こえし楽に 迎えられ
母は往くなり 弥陀の 浄土へ」
なんだか胸が熱くなって、何度も何度も詠みました。🥹
母は往くなり 弥陀の 浄土へ」
なんだか胸が熱くなって、何度も何度も詠みました。🥹
暑い、暑〜い日でしたが、汗をかきながらも、ありがたい参拝となりました。
ありがとうございました☺️🙏🏻
ありがとうございました☺️🙏🏻
すてき
投稿者のプロフィール
なむなむ161投稿
ホトカミ見ました! で広がるご縁
ホトカミを見てお参りされた際は、もし話す機会があれば住職さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
住職さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。