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2025年12月22日(月) 09時47分 bysoo_cyan
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宝徳二年(1450年)近江源氏12代 佐々木六角久頼の菩提寺として建立され、寺名は当氏の戒名「青地駿河大守 祥光院殿宗音大居士」により定められる。代々の近江の守護佐々木氏や歴代の青地城主の保護を得た。天正年間(1573~1592)の兵火で伽藍などを焼失。明暦二年(1656)黄檗僧道悦により中興され、その後黄檗二世木庵禅師を迎えて中興の祖とした。薬師堂の木造薬師如来坐像(南北朝時代)はもとは樂(覺)音寺の本尊とされ、昭和五十五年に草津市有形文化財に指定された。
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康生二年(1456年)近江源氏11代 佐々木六角久頼の菩提寺として建立(案内板は宝徳二年とされているが久頼の没年は康生二年)され、寺名は当氏の戒名「青地駿河大守 祥光院殿宗音大居士」により定められる。最初は曹洞宗、次いで天台宗移編入された。代々の近江の守護佐々木氏や歴代の青地城主の保護を得た。 天正年間(1573~1592)の兵火で伽藍などを焼失。明暦二年(1656・寛文二年(1662年)とも)黄檗僧道悦により再建され、大本山萬福寺二世木庵禅師を迎えて中興の祖とした。 薬師堂の木造薬師如来坐像(南北朝時代)はもとは浄瑠璃山樂(覺)音寺の本尊とされ、昭和五十五年に草津市有形文化財に指定された。樂音寺は奈良時代初期の815年に法相宗の願安によって開かれ、僧房の数は13の大寺院であった。15世紀中ごろに廃れ、薬師様は谷村(山寺町の旧名)住民によって大切に守られてきた。また寺号は町内の發願寺の山号として残された。
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宝徳二年(1450)
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康生二年(1456)
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六角氏(六角高頼か?)
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六角高頼公
