臨済宗妙心寺派
正福寺のお参りの記録一覧
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臨済宗妙心寺派 壽亀山 正福禅寺さまの千日会、年に一度の御開帳に参拝しました。
(以下 御由緒より)
今から1400年前、聖徳太子が御開創され、本尊十一面観世音菩薩・釈迦如来・地蔵菩薩・四天王等は、皆、太子一刀三礼の御霊佛にて、仏法鎮護・国民豊穣のために建立され、平安時代には天台宗寺院でありました。
ところが、今から440年余前、元亀・天正の乱に織田信長公の兵火により建立当時の七堂伽藍は、ことごとく灰燼に帰しましたが幸いにして本尊並びに諸佛の尊容と一小堂は、その難を免れました。
その後、香華を供える者もなく放置され、ただ寺号のみを呼び来たっておりましたが、今から350余年前(寛文年間)に当時中興開山実堂大和尚が、三雲妙感寺より御移錫され臨済宗妙心寺派として堂守りを致しておりましたところ、時の五代将軍綱吉公が子宝に恵まれませんでした。そこで、当地を治めておりました代官花形仁左衛門より、当寺本尊が霊佛なるを聞き帰依され、実堂大和尚に世継出生祈願の台命が下され観音経一万巻読誦懇祷致しましたところ、その感応空しからず速やかにご懐妊され、めでたく御世継徳松様がご誕生されました。綱吉公歓喜され仏恩に酬いんとて、天和元年(約330余年前)代官に、現在地に移築再建を命じ、寺録として二万八千石の高割と二町五反の境内地の他に、御朱印帳及び徳川家の三ツ葵の紋を下賜されました。以来当寺を徳川家の祈願寺となされ霊験顕著にして、世に類を見ない北向きの観音・世継観音として古来より諸願成就せざることなしとして、世人の渇仰尊拝一方ならず各種祈願に参拝の善男善女が年々増加しているのであります。
霊場
近江西国観音霊場 第三十一番札所
甲賀西国観音霊場 第十五番札所
湖国十一面観音霊場第六番札所
びわ湖百八霊場第八十七番札所
主な什物
十一面観世音菩薩立像(秘仏・国重文)
釈迦如来坐像(国重文)
地蔵菩薩坐像(市重文)
宝篋印塔(市重文)
仁王天像(市重文)
待ちに待った御本尊さま御開帳の日。(上半身のみ)🥰
今日は暑さの中にも、ほんのり爽やかな風💨が吹きました。
正福寺さまは檀家さんが居られないお寺さまだそうで、それでも今日は朝4時から、ご住職さまをはじめ、老僧さま、坊守さまの御人柄の良さを慕って、信仰心の篤い方々がお参りに来られ、千日会法要を勤められたそうです。🙂↕️🙏🏻
私が伺った時の御本堂には、一目御本尊さまを拝見したく駆けつけた、たくさんの参拝者で溢れていました。
190センチはあろうかと思うほど、背がシュッとされたご住職さまは大忙し💦それでも絶えず笑顔で、お一人お一人に丁寧に優しくご対応下さっていました。
坊守りさまも、美味しい冷たいお茶のお接待を下さり、喉を潤わせて頂き、大変嬉しゅうございました。
「どうぞ前の方に行かれて、じっくり仏さまをご拝観下さいね」とご住職さまが声をかけて下さり、ありがたく側に近づかせていただきました。🙂↕️🙏🏻
十一面観世音菩薩さまは、立派で煌びやかなお厨子の中から、静かな眼差しで私の心に問いかけて下さっているようでした。🥹🙏🏻
御本尊さまの両脇には、四天王さま、大きな釈迦如来さまと地蔵菩薩さまがいらっしゃり、何とも言えないありがたい空気感が、御本堂いっぱいに溢れていました。✨
ご住職さまから、妙感寺さまとの経緯や、次回御本尊さま御姿全ての御開帳が20年後であるとお伺いし、その時元気で参拝できるだろうか?と、堂内に居合わせた皆が笑顔になり和やかになりました。🥰
お忙しい中、たくさん御朱印も頂戴致しました。
別棟にて、老僧さまがお書き入れ下さったように思います。この場をお借りして御礼、感謝申し上げます。誠にありがとうございました。🙂↕️🙏🏻
夏空のもと、御本堂。
十一面観音さまにお目にかかれる悦び🥹😍🙏🏻
頂いた御供物
ミツ葵
頂いた御札
また来年、参拝できますように。🙂↕️🙏🏻
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三重・滋賀湖南地区・奈良の寺社仏閣巡りの3寺目は、滋賀県甲賀市甲南町に在る寿亀山 正福寺です。
臨済宗妙心寺派で、本尊は秘仏・十一面観音。
この本尊・十一面観音立像は重文で、釈迦如来坐像も重文。また、金剛力士像は県指定文化財(2023年3月指定)で、地蔵菩薩坐像は市指定文化財です。本尊・十一面観音立像は毎年8月10日の午前中のみ開帳されます。午前中との事で8時半に行きましたが、ご住職に何時から開帳ですか?と伺ったところ、4時から開帳しているとの事でした。(早~)
帰宅後ネット検索したら、元は33年に1度の開帳だったが長過ぎるとの事で17年に1度の中開帳を行う様にした。それでもと言う事で毎年8月に上半身だけ開帳する事にしたそうです。確かに腰の下辺りからは見えませんでした。
伝えによれば、聖徳太子が開創、平安時代は天台宗寺院であった。その後、1570年に勃発した元亀天正の争乱の際に織田信長軍の兵火により伽藍焼失。寛文年間(1661~73年)に実堂和尚により中興され、臨済宗妙心寺派になった。そんな折、5代将軍・徳川家綱は世継ぎに恵まれず、この地元代官から本尊が霊仏であると聞き、実堂和尚が世継出生祈願したところ懐妊した事を喜ばれ、現在地に移築再建、三つ葉葵の紋を下賜し、徳川家の祈願寺とした。これにより世継観音と呼ばれるようになったとの事です。(本堂に掛けられた幕には三つ葉葵の紋がある。)
新名神・甲南PAスマートICを下りて直ぐです。参道の石段前に停めてある車があり、その車の方に伺ったら「ここに停めてもいいし、坂道を上がった所にもあるよ。」と言われ、いつも参道から境内に向かう事にしていますのでその車の横に停めさせて頂きました。
石段を上がると近年建て替えられた仁王門。でも金剛力士像(阿形、吽形)は平安後期の作で県指定文化財。高さ約198cm、一木造、腰を捻らず直立に近く、動きを抑えた穏やかな仁王です。(門に掛けられた幕にも三つ葉葵の紋。)
鐘楼の横を過ぎると広場の様な。正面に手水、右側に境内社か鎮守社の八阪神社、小さな池があって弁天堂と?像。手水の先には本堂です。
早速、本堂に上がらせて頂いて、拝観料(500円)を納めて併せて御朱印をお願いしました。それ程広いお堂ではないため、外陣・内陣の区分けは無く、正面の一面が須弥壇となっており、近くから拝観させて頂きました。中央の厨子には秘仏本尊の十一面観音立像、右側に釈迦如来坐像、左側に地蔵菩薩坐像、両脇に二天像です。先に記載した通り、十一面観音立像と釈迦如来坐像は重文、地蔵菩薩坐像は市指定文化財。十一面観音立像は高さ約126cm、一木造、丸顔で穏やかなお顔、衣などは浅めの彫りで、平安後期の作。釈迦如来坐像は高さ約140cm、どっしりとして安定感があり、平安後期の作。地蔵菩薩坐像は高さ約159cm、右手に宝珠、左手に錫杖を持っており、こちらも平安後期の作。皆、見応えがあります。
最後に境内にある八阪神社と弁天堂に手を合わせてから参道を下り車に戻りましたが、何となく境内へ向かう道路を歩いてみたくなったので、少し上がると赤く塗られた稲荷社がありましたのでこちらにも手を合わせてから次へ向かいました。
御朱印
右側に道路があり、上がって行くと境内に駐車場あり
参道
仁王門
阿形(県指定文化財)
吽形(県指定文化財)
鐘楼
手水
宝篋印塔(市指定文化財)
本堂
本尊・十一面観音立像(ネットから転載)
八阪神社(境内社or鎮守社)
弁天堂と?像
稲荷社(境内へ行く道路沿いに在り)
頂いたお札
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