しんぐうじんじゃ
新宮神社は一の宮に紀伊熊野神、二の宮に常陸鹿島神、そして三の宮に勝手大明神を祀っており、甲南町森尻の矢川社、水口町三大寺の日吉社とともに「杣三社大明神」と呼ばれ中世から崇敬を集めていました。 元亀二年(1571)、矢川神社と新宮神社が飯道寺と相論に及んだ際、甲賀郡中惣から選出された奉行衆により仲裁されたことが「山中文書」にみえ、こうした郷鎮守社が中世の甲賀衆の結束を固める場ともなっていたことがわかります。
なし
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