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2026年05月07日(木) 09時07分 bysoo_cyan
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520-3242
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奈良時代 第四十五代聖武天皇の御叡願を受けた良辨僧正が歴代天皇の国家鎮護の叡願所として当地に「円満山大般若台院少菩提寺」を建立開基され、また、一山の守護神として三座を勧請鎮座されました。その一座が「祇園天王社」で、当社の始まりです。 その後戦国時代元亀元年(1570)少菩提寺の焼失廃寺までの八四〇年余りの間、神仕(司)、掌仕、供侶、属待といった宮仕えが常に奉仕されていて、祇園祭祀が執り行われていました。特に第六十二代村上天皇より天暦元年(947)九月二十二日に社殿大修造の太政官宣符が御下賜されたことにより当社の神威はますます盛んとなりました。 当社は少菩提寺の伽藍とともに幾度となく兵火に遭いましたがその都度再興されてきました。また社域は江戸時代中頃明和四年(1767)の頃に西の城谷氏城跡の大堀切の南端にあたるこの地を浄めて遷座し今日に至っています。 明治時代に神仏分離に伴う神社台帳を作成する際に「和田神社」と改められました。この名前の由来は、その昔焼失した当社が再興されるのに尽力された「和田の翁」にちなみ数百年の間「和田の明神社」とも呼ばれ親しまれてきたことからです。 本社殿は明治三十四年九月十日夜のお百燈からの失火により焼失し、翌明治三十五年に氏子の懸命な尽力と浄財寄進によって本社殿、御門、透塀が宮大工伊藤平左衛門の手により再建されています。
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天平三年(731)頃
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良辯僧正
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明和四年(1767)
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一間社流造 間口四尺 奥行五尺五寸