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2026年02月08日(日) 10時39分 bysoo_cyan
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円融寺
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圓融寺(円融寺)
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えんゆうじ
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法性山圓融寺(江州草津宿 円融寺)は、旧東海道五十三次の宿場町である草津宿にて、本山立本寺(京都市上京区)第12世教蔵院日生尊者を開山とし、行寂院日元大徳を開基として、文禄2年(西暦1593年)3月28日に創立されました。 はじめはお墓のそばにある小さな庵ほどのお寺であったと伝えられています。 江戸時代を通じて幾度も火災や水害などの難に遭い、たびたび消滅の危機に瀕していましたが、歴代の檀家の援助や当地に陣屋を置いていた旗本斎藤家の庇護もあり、そのたびに復興を果たしてきました。 斎藤家は近江国栗太郡、野洲郡、蒲生郡の三郡内で六千石の知行地を治めていた大身の旗本であり、その陣屋(領主の屋敷、ならびに政務を行う役所)は現在の草津市大路、現在の小汐井神社の近くにあり大路陣屋と呼ばれていました。旗本斎藤家の初代・三存(みつなか)は「敵は本能寺にあり」で有名な明智光秀の重臣、斎藤利三の五男でした。本能寺の変にて斎藤利三が羽柴秀吉に討たれ斎藤家は没落しましたが、その末娘にお福(春日の局)がいました。のちに三代将軍徳川家光の乳母となり、大奥で絶大な権勢をふるいました。春日の局の願い出により斎藤家の復興は許され、兄の一人であった三存は下総国香取郡に二千石の知行地を与えられ旗本に取り立てられました。その後子孫の代で知行地替えを経て近江国に移ってきて以来、当山は斎藤家ゆかりのお寺となりました。
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https://temple.nichiren.or.jp/5071020-enyuuji/
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文禄2年(西暦1593年)
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行寂院日元大徳