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2026年02月09日(月) 01時05分 bysoo_cyan
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しんぐうじ
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神護景雲元年(767)、神告により立木神社の神宮寺となり、石仏五体を安置していたと『興福寺官務牒疏』にあり、又、石仏寺 在同郡勢多郷 坊舎六宇 同御宇天平7(735)乙亥年、良弁僧正開基、依神告神護景運元年(704)8月、為立木神宮寺草創処也、本尊釈薬地観文之石仏也、大永5年(1525)再興、源豪僧都云々、とある。 又、本尊十一面観音は推古天皇の御代(在位 592-628)聖徳太子42歳の御時、自ら厄除けの為、彫刻されたと伝えられる尊像。脇仏の不動明王立像(平安時代後期)はヒノキ材による一木割木造、内刳、彩色像。莎髪を結び、天地眼として牙上下出する不動である。 又、神宮寺は春日の神を分祀した立木神社の別当寺で、明治初年の神仏分離令により現在地に移った。 春日大社との縁を示す「春日鹿曼荼羅」(室町時代作 絹本着色 雲上に神鹿を描き、円鏡の中に春日本地五仏が描かれている。)又、延暦14年(795)坂上田村麻呂 東夷征伐の勅命を蒙り、当山に参籠して、法華経を写経し祈願を立てた、と伝えられる。遷座。
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景雲山
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正行院
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神護景雲元年(767)
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開基:良弁僧正
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源豪僧都
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大永5年(1525)