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2025年08月24日(日) 20時01分 bysoo_cyan

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ご由緒
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明細帳によれば創祀年代不詳であるが、社伝によると天正七年土地の豪族が勧請したものとされる。現本殿は宝暦三年に改築された。 この地は古代の官道「東山道」の道端に位置していて、榊差古墳群、南田山古墳群、南笠古墳群など、100基を超える古墳があったとされている。ほとんどの古墳が開発によって姿を消したが、円墳1基が残っている。
 摂社の大己貴命(オオナムチノミコト)神社は古墳の上にある。南田山古墳と呼ばれており、墳頂に祠があり、その足元に横穴式石室が開口している。。
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この地は古代の官道「東山道」の道端に位置していて、榊差古墳群、南田山古墳群、南笠古墳群など、100基を超える古墳があったとされている。ほとんどの古墳が開発によって姿を消したが、円墳1基が残っている。
江戸時代、幕府が天災飢饉に備えるため各地の開墾を薦めたが、この付近の古墳群も膳所藩の推奨によって多く開拓されることとなった。この由緒ある地の開墾にあたってこの地の人々は祖先の霊を慰めると共に五穀豊穣を願ってここ榊差の霊地に御神殿を造営して宇迦御魂命を勧請し奉ったのがこの神社で時に宝暦3年(1753)2月8日である。御祭神は1柱豊受姫命と申し上げ食物の御魂の神であり五穀豊穣家内安全などに功徳ある神で稲荷社の主神とされている。嘉永6年(1853)には京都吉田神道家から荻野正一位稲荷大明神の神号を賜わったという。
 摂社の大己貴命(オオナムチノミコト)神社は古墳の上にある。南田山古墳と呼ばれており、墳頂に祠があり、その足元に横穴式石室が開口している。。
ご祭神/ご本尊
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倉稲魂命
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倉稲魂命(豊受姫命)
創立
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伝:天正七年
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1753年(宝暦3年)
行事
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5月3日 例祭
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2月初午日 初午祭
5月3日 例祭
12月8日 火焚祭