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2026年03月10日(火) 18時15分 bysoo_cyan
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天台宗
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天台宗総本山延暦寺里坊
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りょうぜんいん
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比叡山延暦寺の麓、里坊の1つである霊山院にはビルマ釈尊像と名付けられた仏像が存在する。 アウンサンスーチー(Aung San Suu Kyi)も2度訪れたというこの仏像は先代住職の小寺文頴師がビルマから持ち帰ったものである。小寺師は1932年(昭和7年)に滋賀県で生まれ、12歳で仏門に入った。比叡山高校、龍谷大学文学部仏教学科を卒業すると翌年から比叡山高校・中学の教師となった。 そして1957年(昭和32年)に叡山学院研究科を卒業した後、留学僧としてビルマへと赴くこととなる。このビルマへの留学僧派遣は日本釈尊正法会によるもので、60名近い応募者の中から小寺師を含む17名がビルマへと渡った。その中には既に当ブログで取り上げた土浦・佛照寺(ビルマ釈迦堂)の鴨崎仁彦師や京都・壬生寺の松浦俊海師、ビルマ仏教に関する著作で有名な池田正隆などもいた。 当寺の本尊であるビルマ釈尊像は、師がビルマ国際仏教宣教大学での2年間の留学生活を終えて1959年(昭和34年)に帰国する際、ウ・ヌー(U Nu)より託されたものだと伝えられている。 帰国後の師は廃寺であった霊山院を再興し、このビルマ釈尊像を本尊とする一方で、天台宗勧学院、龍谷大学大学院博士課程を修了するなど比叡山でも有数の学僧として頭角を現していく。 叡山学院学監・教授を務め後進の育成にも尽力し、自身は天台円戒の方面に優れた研究実績を残した。戒律の研究にはビルマでの留学経験も大いに活きたことが想像される。 残念ながら1982年(昭和57年)2月、49歳という若さで遷化された。
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釈迦如来(ビルマ釈尊像)
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松寿院
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小寺文頴師