さいきょうじ|天台真盛宗
西教寺の編集履歴
見所
<h3>明智光秀ゆかりの寺</h3>
織田信長の比叡山焼き討ちの後、坂本城の城主となった明智光秀。光秀は西教寺の檀徒となり、復興に大きく力を注ぎました。総門は坂本城城門を移築したもので、鐘楼堂の鐘は陣鐘です。明智光秀はこの地で一族の墓とともに供養されています。
<h3>歴史の重みを感じる重要文化財</h3>
桃山時代に建てられた客殿は、もとは豊臣秀吉の伏見城にあった旧殿で、大谷刑部吉隆の母・山中長俊守内室が寄進したもの。総欅入母屋造の本堂は江戸時代に上棟落成し、用材は紀州徳川家からの寄進、正面の欄間(十六羅漢)や須弥壇はすべて欅の素木造で江戸初期の特色を表す豪華な装飾が施されています。ご本尊は平安時代の丈六の阿弥陀如来、客殿の賢人の間の内仏は京都法勝寺伝来の秘仏薬師如来座像で、いずれも重要文化財となっています。
編集前:<h3>明智光秀ゆかりの寺</h3>
織田信長の比叡山焼き討ちの後、坂本城の城主となった明智光秀。光秀は西教寺の檀徒となり、復興に大きく力を注ぎました。総門は坂本城城門を移築したもので、鐘楼堂の鐘は陣鐘です。明智光秀はこの地で一族の墓とともに供養されています。
<h3>歴史の重みを感じる重要文化財</h3>
桃山時代に建てられた客殿は、もとは豊臣秀吉の伏見城にあった旧殿で、大谷刑部吉隆の母・山中長俊守内室が寄進したもの。総欅入母屋造の本堂は江戸時代に上棟落成し、用材は紀州徳川家からの寄進、正面の欄間(十六羅漢)や須弥壇はすべて欅の素木造で江戸初期の特色を表す豪華な装飾が施されています。ご本尊は平安時代の丈六の阿弥陀如来、客殿の賢人の間の内仏は京都法勝寺伝来の秘仏薬師如来座像で、いずれも重要文化財となっています。