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楽しみ方編集詳細
2025年12月20日(土) 09時50分 bysoo_cyan
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ほうぞうじ
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正覚山法蔵寺は室町時代に中野備後守宗永とその子中野加賀守宗成が今の荒戸神社の西桐山山上に創建して青松嗽秀禅師を迎え開山した曹洞宗の古刹で、その大本山は福井の永平寺・鶴見の総持寺であり、当初は数々の坊舎が並び立つ隆盛な江南の禅院であった。 処が中野備後守宗利の頃から守護佐々木氏の衰運にあって、中野氏も逐日傾頺の悲運に陥った。 元禄五年には中野氏一族が菩提寺の荒廃を悲しみ興復を図ったが果せず、宝永二年膳所城主本多公より旧寺号を以って再興を許されて機運が熟した矢先、宝永五年七月十七日の大戸川大洪水により住家共々悉く流失した。 その後中野備後守宗辰の時に芝原村大平山麓に移ったのである。時に膳所城主本多隠岐守康慶公はその興復を嘉納されて用材三十五本、山林一万二千六百六十坪のご寄進を賜り、山林は今も寺領となっている。膳所安昌寺の学海和尚はこの寺の再興に尽力し宝永六年九月に落慶し法灯は再び掲焉を見るに至った。 元の本堂は草葺で三年毎に葺替えられていたが、明治四十年当山大倉泰龍和尚と中野備後守宗俊の一族が結集して改築され大正元年に落慶し、平成十年には大改修が行われて今日に至っている。 法蔵寺はもともと中野一族の菩提寺であり延文年中、中野七郎景房が足利義詮に仕え伊勢征伐で勲功があり、丸に二つ引きの紋旗を与えられ、それが寺紋となり中野一族の家紋になっている。 境内にある地蔵堂には地蔵尊を祀り膳所本多伊豫守忠良公御屋敷から奉請したもので鎌倉後期の作と伝えられている。
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正覚山
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室町時代
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中野備後守宗永・中野加賀守宗成 開山:青松嗽秀禅師
